私は、6年前のある日、なにげなく目を通した日本経済新聞に以下のようなウィーン発「Dialog in the Dark」に関する記事に目が止まりました。その時の衝撃は、今でも鮮明に覚えています。
これは、基本的でありながらとても未来的なプロジェクト(未来の原風景)だと感じました。
『ウィーンの自然誌博物館で開催中の「闇の中の対話」と題する特別展が、人気を集めている。
日常生活を取り巻くさまざまな環境を織り込んだ真っ暗な会場を回ることで、視覚障害者の世界を験してもらおうという珍しい展覧会だ。
展示会に使われている博物館の3室には全く光がない。その中を、視覚障害者の誘導に助けられながら、視覚障害者用の杖を頼りに歩きはじめると、色々な場面に出会う。道路交通の雑音や小川の流れる音を聞き、石畳や芝生、砂などの感覚の違いを足の裏で感じ、階段、橋を注意深く超え、石像や市場の屋台に並 ぶ野菜を手で触る。
最後には、真っ暗なバーで、一杯やりながら感想を語り合う。
聞かれるのは、視覚を失うことに戸惑い、他の感覚が突然敏感になることを自負しながら、視覚障害者の世界の深さを知ることへの驚きだ。案内役のサエルベルグさんは、「私たちは車窓から景色を見ること は出来ないが、感じることはできる。」という。展覧会を体験するとその感覚を実感できるようにな る。この企画は、ドイツ視覚障害者協会のハイネッケ博士のアイディア。ウィーンでは、すでに最終日までのチケットが売り切れているが、その後、ブリュセル、パリでも開催される。主催者は、各地の視覚障害者の協力を得て日本を含めた世界各国を回るのが目標だ。』
私は、ぜひとも、この「Dialog in the Dark」を日本で開催してみたいと思い、ハイネッケ氏、そしてこの記事を書かれた日経新聞ウィーン支局の小笠原氏とその可能性を何度も探りました。
実際にローマで体験し、アテンドの人が、私たちや周りの状況を本当に的確に把握されていることに驚き、その感覚の鋭さを実感しました。
そして、このプロジェクトがこれまで、自分の頭の中で理解していたより、もっと自由で、明るく、楽しいものだと発見したのです。
しかし、このコンセプトの実現のために欠かせない真っ暗な空間を、日本の都市のなかに作ることは、容易ではないのです。日本の都市化は、コンビニエンスストアに代表されるように、蛍光燈で一律に照度をあげる、つまり平均して明るくする方向性に進んできたために、暗さを極端に嫌うようです。また、ドイツと日本では、危険に対する責任の解釈が違います。アクシデントがおこる前に危険回避の手段がいる我が国に比べ、ドイツでは、アクシデントがおこってから、いかに迅速で適切な体制を組み立てられるかに重きを置きます。この違いは、消防法においても大きな開きをもたらすことになります。
この「Dialog in the Dark」のコンセプトをいろんな方にお話すると、すぐに個人的に理解して頂きますが、それを企業に正式に資金や物理的協力を要請すると、いつも断ち切れてしまいます。その理由は、さまざまですが、大きく分けると、危険だということ、もう一つは、企業の投資効果が図れないということです。結局、「Dialog in the Dark」を正式に日本で開催することは、諦めました。
それにしても、このプロジェクトは、ヨーロッパでは、70都市、100万人の方が体験し、すでに実験ではなく公のイベントになっています。中には、経営者を集めてこのプロジェクトを体験する「KAIZENN」という日本語のタイトルで行われているものもあります。米国では、日本と同様に、何回も開催のプランは始まりますが、最後に中止になります。たぶん、日本と同じ理由からだと想像されます。
ヨーロッパにしろ、日本にしろ、同じ人間が、生活しているのにもかかわらず、どうして一方では、可能であり、もう一方では、不可能となるのでしょうか?このことから私たちは、何を学ばなくてはいけないのでしょうか?
そうです。そろそろ、われわれも始めなければいけないのです。
同じひとつの小さな記事と出会い、感動し、このコンセプトを理解し、一緒に楽しもうとする、あくまでも個人の集まりで、まずは、小さな実験から始めることにします。
ちょうどさかのぼること10年前ハイネッケ氏が、デュセルドルフではじめて開催したときのように。
また、時代が、次のしくみを模索しているという、夜明け前の時期であることから、「黎明:Reimei Project」というプロジェクト名にしました。
今回、社団法人日本電子工業振興協会・清紹英氏、ATACカンファレンス・中邑賢龍氏、そして㈱ユーディット・関根千佳氏の特別なご理解のもと、COM JAPANと同時開催されることになりました。
準備する時間も1ヶ月もないという非常に限られた条件にも限らず、多くの人たちの協力が、得られたことを感謝するとともに時代の大きな変化を実感しています。