「触れる」

人間は、五官によって外界を認知する。
見る、聴く、嗅ぐ、味わう、触れるなどによって外界を知り、
自分との関係も明らかになる。
これらの感覚を洗練させることによって、
われわれの感受性もひろくなってゆき、人生も豊かになる。

人間は「眼の動物」と言われたりするだけあって、
視覚を特別に大事にしている。
考えてみると人間が得る大半の情報は視覚情報である、といっていいほどである。
活字と映像が、他に比較にならぬ量の情報を人間に提供する。
これに比して人間にとっておそらくもっとも未分化な感覚は、触覚であろう。
なにかについて善悪、美醜などの判断をくだすときに触覚に頼ることは、
極めて少ない、と言っていいだろう。

しかし、人間が深く自分の存在を確かめたいときに、
触覚が大事になるのではなかろうか?
死んでいく人に対して黙って手を握りしめることは実に大切である。
そのくせ、日常生活においては、われわれは、
触覚の重要性を忘れていることが多いと思われる。

ただ「触れる」だけではなく、心の接触がともなっていると、心が動かされる。
本当に「触れる」よさを知るためには、焦りは禁物である。
心が触れるまで「待つ」ことが大切だ。

「しあわせ眼鏡」海鳴社より、抜粋
臨床心理学・京大名誉教授/国際日本文化研究センター所長 河合隼雄

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