「気配」と「想い」
一輪車を子供がすいすい漕いで行くのを見て、
すごいなあと思います。
私は自転車にも、うまく乗れません。
同じように目の見えない方が、
街の中を感知しながら歩いたり、
人の表情を読めるのも、すごいなあと思います。
私には「気配」を読み取る力が少ないからです。
聴覚障害の方ばかりの中で一人になったとき、
みなさんが手話で楽しく会話しているのが
ほとんど読み取れなかった経験があります。
言葉の通じない別の文化圏にいるようでしたが、
しばらくその中にいると、
不思議と「想い」が伝わるような気がしました。
視覚をさえぎって空間を進むうちに、
私は「気配」を感じる力を得ることができるのでしょうか?
まわりの人々や、自然そのものと、
「想い」を通じることができるようになるのでしょうか?
わたしたちは、誰でも年をとります。
人生のどこかで、障害をもつこともありえます。
でも、それも人生の大切な一部であり、
これまで知らなかった能力や文化を知ることなのかもしれません。
人間の可能性やコミュニケーションのあり方について、
この「黎明プロジェクト」が
新しい視野を拓くきっかけになることを期待しています。
株式会社ユーディット (情報のユニバーサルデザイン研究所) 関根千佳