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CSUNレポート

2013年のCSUNは、人数こそ少なかったが、内容的にはなかなか面白かった。海辺のホテルで会場までは少し距離があったが、目の前に帆船があり、毎朝、気分が良かった。そうだ、13年前、一人で会社を立ち上げた時、帆船の絵のついたはがきを全国に送ったんだよね。

青空を背景にした帆船

「船出されたんですね」というメッセージを頂いたことを思い出す。新島襄と同じく、私も港に対して特別の感慨を持つ。そう、CSUNは、私にとって、毎年、新しい船出の場所なのだ。で、今年からは、日記形式ではなく、面白いと思ったテーマから書いて行こうと思う。

 1. GPII

アメリカのこういった会合に行くと、もはやパソコンは消えるなあとか、ガラケーはもう二年後には世界から消えているだろう、とか、いろんなことを考える。人が使う端末はほとんどがスマホになっているはずだし、あらゆるアプリが、クラウド上に存在するからだ。CSUNに行くと、私は真っ先に、Gregg Vanderheidenの発表を探す。彼のセッションを聞いておくと、世の中が数年後どう変わっていくのか、予測できることが増えるからである。これは、CSUNに通うこの20年間で、ほとんど変わっていない。Greggも少し元気のない時期もあったけど、それでも彼が、支援技術や、ICTのユニバーサルデザインの世界のリーダーの一人であるという立場は揺らがない。AccessDOSをIBMと作ったころから、ユニバーサルデザインの黎明期も、モバイルやクラウドに移っても、ずっと私は彼の後を追っかけてきたような気がする。

で、今年も、彼がこの数年続けている、GPII(Global Public Inclusive Infrastructure)http://gpii.net/index.htmlを聞きに行った。アメリカでは、ユニバーサルな情報アクセスのための国家プロジェクトとして、またEUではFP7におけるCloud for All  (http://www.cloud4all.info/)のメインプロジェクトとして、協働で開発しているものである。スマホとクラウドが主役だが、基本的な考え方は、これまで何十年間も、CSUNで示されてきた未来像を踏襲している。各人は、自分の状況を熟知しているスマホを持ち歩いている。それを、公共の場所にあるATMや券売機、自動販売機などの機器にかざすと、スマホからクラウドにその人のIDと共に、その機器を使いたいと思っていることが発信される。で、クラウドからその機器に対し、その人に合わせたユニバーサルなユーザーインターフェースを提示するよう、指示が出されるのである。

 プレゼンテーションの様子

これは10年ほど前、携帯電話が社会に普及し始める以前から、Greggの頭の中にあった構想だった。当時は、携帯のほうのユーザーインターフェースがその人に合わせて変化し、公共機器を操作できるというものであったが、今では、クラウドからの指示で、ターゲットの機器そのものの画面が変化する。MSではuPnp、スタンフォードのアルキメデスプロジェクトでTAS(Total Access System)と呼ばれていたのも、近い概念である。公共の建築物のように、全ての公共端末を、全ての人に対応させるのは困難である。だとすれば、各人の持っているアクセシブルな手元の機器から、ターゲットとなる公共端末を利用しようとするものだった。あれから10年以上が経ち、手元の携帯はとても高機能になった。さらに、クラウドで携帯とターゲット端末をつなぐことも可能になり、かつ、公共端末も画面を持つことが普通になって、多言語やアクセシビリティに対応しやすくなったのだ。

かつて、ユニバーサルデザインのことを、Design for Allじゃなくて、Design for Eachであるべき、と、私が主張していたころがあった。その背景には、Greggたちのこんな考え方があったからなのだ。身近な携帯端末は、私の視力や、聴力、記憶力や指先の巧緻性まで、みんなわかってくれている。そして私が使えるよう、アクセシブルにカスタマイズされている。その携帯が、周囲のさまざまな機器に働きかけてくれたら、私はどんな状態であっても、周囲のものを使うことができるのだ。世界の全てを、自分に合わせて作り変えてくれなんて、そんな大それたことは望まない。だけど、せめて、手元の携帯だけでも、それぞれの人に合わせて、デザインされていたら?それが外部に働きかけてくれて、オンデマンドで私だけのために相手が変化してくれたら?それがDesign for Eachだった。

今年のGreggたちの発表は、相変わらずの大人数だ。かかわっている研究者が世界中にたくさんいるので、いきおい、パネラーの数は多くなる。ま、みんな楽しんで発表しているので問題ないのだけれど。それにしても、日本の影が薄いなあ。アジアからも徐々に参加企業や大学が増えつつあるのに。韓国や台湾からの出席者が熱心だ。

Greggには、GPIIのコンセプト映像を、来年以降の放送大学のコースの中で紹介させてほしいという依頼をしておいた。

 

2. Apple iBook Authers

今回、結構楽しかったのがこのセッションだった。AppleのiBook Autherは、日本語のサポートが遅いため、日本ではまだあまり知られていない。昨年末にようやく縦書きバージョンが出て、少しずつ認知されてきたかなというところである。電子書籍の普及がすごく遅れているのと同じ状況だ。だが、英語圏では、すでに結構楽しく使われているのである。Appleのサイトには日本語での説明もあった。

http://www.apple.com/jp/ibooks-author/

今回のCSUNでは、特に、教育現場で、どう作る?どう使う?というセッションがあり、プレゼンターはあっという間に、の副読本等を作ってみせてくれた。コピーライトフリーの教育用の写真や映像を組み合わせる。これだけでもかなりアトラクティブだ。それに例えば地域の動植物や鉱石の写真、子どもたちのフィールドワークの映像などを加え、先生独自のコンテンツを作成できる。もちろん子どもが作ってもいい。ビジュアルで、わかりやすくて、魅力的で、かつ、アクセシブルな(ここが大事!)コンテンツを、どうやって作成するか、またどうやって、多様なニーズを持つ子供たちにちゃんと使ってもらうか、さまざまなノウハウが語られる。もちろん、そのコンテンツは、オンラインで共有することが可能だ。遠隔地の学生たちも、入院中の子どもたちも、e-learningで利用することができる。なんて素敵なんだろう。本、教科書、参考書という概念を、がらっと変えるくらいのインパクトがあるデモだった。

プレゼンテーションの写真

日本ではどちらかというと、教育はストイックに行われる。ずっと笑い声が絶えない教室って、あまり聞かない(ような気がする)。まだ黒板も、手書きプリントも健在だ。それが悪いとは一概には言えないけれど、新しい技術を、どんどん「楽しい授業のために」使うという発想は薄いかもしれない。技術は人を幸せにするためにあるのになあ。英語版は始めからVoiceOverに対応していたり、アクセシビリティも万全なようだが、日本語の環境も確認してみたい。

 

3.Google

このセッションも大人気だった。今回、会いたかったTV.Ramanは、残念ながら参加していなかったが。昨年、彼が参加すると予測されたセッションが、黒山の人だかりだったのを思い出す。床に座り込む人もたくさんいたなあ。今やGoogleは、アクセシビリティのスターを多数揃えているのだ。全盲のTV.Ramanしかり、聴覚障害のインターネットの父、Vinton Cerfしかり、支援技術の天才、マーク・カーツワイルしかりである。今回は、Google+ Handoutsを使って、YouTubeの映像をいかにアクセシブルにするかを、これも楽しげにデモしていた。プレゼンターは、耳が聞こえないエンジニアだ。当事者がばりばりに技術を持って、新しい地平を拓いていくのを見るのは、大好きだ。

手話のリレーサービスのデモ

で、Handoutsのデモが続く。字幕をつける、音声解説をつける。オプションも簡単に指定できそう。クラウドの中で支援技術エンジンを組み合わせれば、確かにどんな環境でもサポートできる。デモでは、各国語のサポートも見せていた。日本人の若いエンジニアが英語のコンテンツをあっさりと日本語化する様子も、印象的だった。字幕をつけるためのワークフローが提示され、それにしたがってどんどん映像にアクセシブルな字幕が追加されていく。

字幕のデモ

なんだかちょっと悔しい。日本国内ではものすごく苦労していることなのに。なんだか、支援技術の世界でも、少し待てば、クラウド上で変換可能な技術が、どんどん普及するのかもしれない。楽しみではあるが、悔しくもある。そして、日本国内では、このような技術をきちんと当事者に伝える役割の人がほとんど育成されていないので、せっかくの技術や情報が、ニーズのある当事者に伝わらないことも多いのだ。リハエンジニアもITサポートセンターも存在する地域は少ないし、ネット業界にも映像をアクセシブルにする専門家は育成されてないし、第一、日本のGoogleって、アクセシビリティの部署や専門家っていたんだっけ。。。ま、嘆いても始まらない。こういう技術が特別なものではなく、ごく一般的なもの、ユニバーサルなものとなって、当たり前に使われるようになることが、私たちの夢だったのだ。それを、世界レベルではどんどん進めているGoogleに、敬意を表したい。でも、日本でも進めてね。

 

4.リタイアメントコミュニティ

今年もサンディエゴのリタイアメントコミュニティを訪問した。ランチタイムにどうぞ、と言ってくれたので、その時間に伺うと、地域の市民に開放されているレストランで、安くて美味しいランチをご馳走してくれた。とてもいい雰囲気のレストラン。オリジナルグッズまで売っている売店。吹き抜けのエントランスにはたくさんの花とグランドピアノ。すれ違うシニアたちは、みな、身ぎれいにしている。杖をついていても、車いすに乗っていても、酸素ボンベをひっぱっていても、だ。もちろん美容室は完備している。有料だけどみな予約してでかけていく。

リタイアメント・コミュニティの入り口

図書室も、工作室も、プールも、食堂も、みんな、これまで見たのと同じように、かっこいい。部屋はどこも美しい。シニアたちはみな元気で楽しそうだ。これもこれまでと同じ。で、今回、これまで見たのと違う点は、ここが、一か月単位でも入れる、リタイアメントコミュニティであるということだ。SnowBirdと呼ばれるシニアが、アメリカにはたくさんいる。まるで渡り鳥の「ユキヒメドリ」のように、NYやボストンなどから、寒い時期だけ数か月間、暖かいカリフォルニアやフロリダなどに避寒に来るのである。冬は満杯よ、とスタッフは笑う。

国籍は問わない。ただ周囲とはできるだけ、コミュニケーションをとってほしい。そういう条件だった。がぜん、行きたくなる。一度、アメリカのリタイアメントコミュニティに、ちゃんと住んでみたい。で、日本にこのビジネスモデルを持ってくるためには、何が足りないか、何が困るか、きちんと理解したい。一月単位でも住めるとの提案に、かなりその気になってしまった。

考えてみたら、日本の高齢者施設で、短期間でいいから、一度住んでみたいという場所に、私はまだであったことがない。知らないだけかもしれないけど、一般的に部屋は狭いし、図書室はないし、インターネット教室もないし。第一、社会に開かれてない。最初に言ったような、高齢者施設のレストランが、地域に開かれていたら、もっと楽しいことが起きるのに、そんなインクルーシブな発想の施設は、日本ではほとんど存在していない気がする。

そして、このリタイアメントコミュニティ、結構、安い!752スクエアフィート(ほぼ70㎡)の1ベッドルームが、月額で2920ドル(28万ほど)である。

この金額で、食器洗い機つきのフルサイズキッチン、洗濯乾燥機、エアコン、安全な駐車場、緊急通報システム、バルコニー、物置等がついた部屋が借りられる。さらに、31回分の食事クーポン(食べないなら減額できる)、家の掃除(これも自分でやれば減額可能)、水道光熱費、ケーブルテレビ、街中やスーパーへの移送サービス、それにスポーツクラブや図書館などあらゆる施設内の利用料が含まれるのである。電話とインターネット接続料は使用量に応じて支払うが、ロビーのWifiは無料である。Pet持ち込みも可能だ。これだけのサポートサービスと、31食分の食事つきでこの金額というのは、なんだかとても安く感じてしまう。で、二人で入っても、食事代以外の追加料金はかからない。もちろん、眺めや階によって価格は変わるが、サービス産業のモデルとして、とても素晴らしい仕組みである。隣は病院で、敷地内にはAssited Livingもある。少し高くはなるが、同じスタッフのケアを亡くなるまで受けられるという安心感は大きい。

個室のベッドルーム

施設内には、レストラン、カフェ、銀行の支店(!)、図書館、ビリヤードルーム、オーディトリアム、ヘルスクリニック、美容院、ウェルネスセンター、プール、ジャグジー、教会、18ホールのパッティングゴルフコース、メンバー用家庭菜園もある。これもすべて価格内か、格安で使える。55歳以上の方歓迎!ということだが実際には平均年齢は70歳位だ。みんなここへ来ると元気で長生きしてしまうのだろう。

施設内の銀行支店

しかしこの価格とサービス内容は、初期投資だけでも5000万くらいかかる日本の施設を見慣れている眼には、別世界のようだ。日本でも、もう少し、いろんな選択肢があればいいのに。もっと若いころから、楽しく過ごすための場としての施設があればいいのに、などと、いろんなことを考えてしまう。

図書館

説明された中に、コミュニティサービスというのが何度も出てきた。ここのメンバー自身が、地域社会に対して、ボランタリーに動くプログラムのことだ。特にここのシニアは、助けてもらうだけでなく、自分たちが地域社会に何を貢献できるかを、常に考えているのだと説明された。自分たちが、いかに地域に出て行くか。何が貢献できるか。住民は常にそれを問われるのだという。具体的には、難民支援を熱心に行っている。ESLプログラムや、ITを使った言語習得支援に始まり、市場で評価されるようなジョブスキルの伝授、更には自信を持つための学びの場やリクルートスーツの中古品ショップなども経営している。ここはコミュニティなのだ。収容される施設ではない。自分たちが運営し、自分たちで自己決定できる場なのである。

施設内のホール

毎年、リタイアメントコミュニティに来て、スタッフの話を聞き、居住者の明るい顔を見ていると思う。日本でも同じ雰囲気のコミュニティを作りたい。自分が何をしてもらえるかではなく、何を貢献できるか、それを真っ先に考えながら、歳をとっていきたい。日本で歳をとることが、リスクにならないよう、アクティブシニアの生き方を今後も議論していきたいと思う。

 

5.その他、感じたこと

今回、WebアクセシビリティやCVAAの動向など、他にもいくつものセッションに出た。世界はどんどん進んでいると感じた。EUは、Mandate376以外にも、法律が出るという話であるし、もはや508条は当たり前すぎて、誰も話題にさえしない。

実をいうと、今年は、最初、ものすごく状態が悪かった。なんだか、誰にも声をかける気になれない。キーノートスピーチをした人にも、会いに行って名刺交換をする気になれない。こんなに名刺が減らなかった年は珍しいかもしれない。遠くに、Greggがいる。Mikeがいる。MaryAnnやJudyがいる。でも、声をかける気になれないのだ。

 カンファレンス会場のロビー

展示会場の入り口付近

共に闘ってきた仲間たちに、日本は何も変わっていないよと、伝えることがつらくなってきていた。何も変わってない。むしろ、悪くなっているかもしれない、なんて、言えないよね。Webアクセシビリティも、放送のユニバーサルデザインも、支援技術の利用も、何にも進んでいない。法制度の整備も完全に消えている。EUがやっとMandateを何年もかかって出したというのに。私は、いったい何をしてきたのかなあ。確かに政府を動かした。JISは作った。でも、そこまででおしまい。何の拘束力もない工業標準だけ作って、日本はそこまでしかやらないと決めたのだ。本当は、海外と同じように、このJISをベースに、それを効力化するための法律を作りたかったのに。リハビリテーション法508条を、日本にも、と、2000年くらいに必死で言っていたことを思い出す。で、結局、それは実現しなかった。

たしかに、環境が違うのだから、同じ内容では難しいだろうというのは、私もわかっていた。もともと508条は、連邦政府の調達基準に関する法律である。連邦政府(およびそのファンドを受けている機関)が、調達するIT機器やWebサイトは、アクセシブルでなくてはならないという法律だった。それは、もともとは、連邦政府に、17万人も障害を持つ職員がいることから始まっている。いったい、日本の霞が関に、障害を持つ「常勤」職員が、何人いるというのだろう?そのうち何人の当事者が、アメリカのように、高官になったり、4代の大統領に仕えたりしているだろうか?

これまで、いくつもの省庁の委員を引き受けてきたのは、なんとか、日本にユニバーサルデザインや、アクセシビリティの考え方を根付かせたいという思いからだった。だが、20年経っても、そんなに日本が変わったとは思えない。確かに、まちの中のバリアフリーは、かなり進み、移動はとても楽になった。それは、法律が出来たからだ。ICTやWebサイトは、以前のままである。各企業は孤独な努力を続けている。ものによっては、世界の中でも素晴らしいと言えるものも多い。だが、それはなかなか日の目を見ないのだ。

そして、障害などに対する理解も、まだまだだなあと思うことが多い。大学の中にいても、学生たちの卒論の中に、障害に対する理解がかなり間違っているのを見て、暗澹とした気持ちになる。ITの専門家の間でも、Webアクセシビリティは、自分たちの創造性を阻害するものとして捉えられることもある。放送局にとって字幕は、手間とお金がかかるのでできないものの一つなのだ。公共交通機関のように、エレベーターは付けるのが当たり前、となってくれば、デザイナーは最初からそれを考慮して設計をする。だれも、それが自分たちの創造性を阻害するなんて思わない。海外では「当たり前」のことが、日本では、特別な人のために、温情で施してあげるもの、という文脈で語られるのを聞くと、本当に落ち込んでしまうのだ。

私がIBMでSNSセンターを立ち上げたとき、UDITを設立した時、いつも心の中で思っていた。障害を持つ子どもたちに、「待っててね。あなたたちが、大きくなるころには、もう少し、日本は住みやすくなっているからね」と。確かに、家や駅は良くなった。でも、教育は、そして、私の専門であるICT分野では??

夕日のコロナード

ま、嘆いても仕方がない。日を追うごとに、カリフォルニアの輝く陽光に癒されてきた。何も進んでいなくても、伝えるという仕事はまだまだある。私がここであきらめるわけにいくものか。今年のメンバーも、みな、前向きだった。最終日は、ホテルデルコロナードに行って、素敵なレストランで食事をした。もっともっと、人生を楽しもう。できることをこつこつやろう。嘆く時間があれば、仕事をしよう。最後は、いつものハイテンションに戻っていた。みんな、ありがとう。また来年会おうね。

参加者と一緒に


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