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2016年 CSUNツアー

今回でCSUN自体は31回目になるそうだ。私自身も、もう25回目くらいだろうか?昨年、大学の卒業式で行けなかったので、今年はかなりウラシマハナコである。

行ってみて思った。かなり、人間も、技術も変わってきている。ま、アメリカの場合、それは良い方に行っているということかもしれない。

 

3月22日

成田で初めてメンバーが顔を揃えた。CSUN二回目という人も、ロサンゼルス時代に行ったことがあるという人が多く、サンディエゴは初めてなので、ま、大半が初めてのようなものだ。

今回は、毎日新聞の全盲の記者である岩下さんが参加しているので、当事者にずっと接することができ、リアルなニーズを知る良い機会である。みんなが岩下さんの隣を希望したが、行きがけのエアの中では、京大の吉田先生にアテンドをお願いした。こういうときは、明るい関西人のノリが、視覚障害者にはぴったりである。かなり話がはずんだらしい。私は行きの飛行機の中では、スターウォーズの今年版と、「最高の人生の作り方」という映画を見た。状況の異なる二人が、たまたま同じ病室になり、余命半年と宣言されて、一緒に旅に出るというものだ。モーガン・フリーマンと、ジャック・ニコルソンの息の合っていて、終わり方がなかなか良かった。

出国は全く問題がなかったが、アメリカ入国時にちょっとした事件があった。入国審査のところで、岩下さんが指紋認証を終了したのを見届けて、私はホテルのシャトルを予約しようと、先に外へ出た。だが、他のツアーメンバーが全員出てきたのに、なぜか岩下さんと吉田先生が出てこない!心配していたら、JALのスタッフがやってきた。

「入国時のデータに何かあったようで、少し待つように言われています」

あらら、ESTAのデータに何か課題でもあったのかな?私も前日に、「そうだ、切れていたんだ!」と思い出して入力した。岩下さんは、当日の朝、入力したらしい。当日だとダメなのかしら????どうなることかと思っていたが、20分ほどして、出てきた。やれやれ。何だったんだろう?少なくとも凶悪犯には見えない二人なんだけどなあ。

ハンバーガーを食べようとしている岩下さんと、内容を説明する藤井さんの写真

なんとか、ホテルのシャトルにきてもらい、まずはランチに行く。ああ、この青空。カリフォルニアだ。この解放感。帰ってきたなあという気になる。今回はいつもより少し北側にある、リトルイタリーというところにホテルをとった。周辺は治安もいいし、何より、美味しいレストランがたくさんある!初日は、近所のハンバーガー屋さんにいった。ビールとハンバーガー。アメリカだ。

午後は少し時間があったので、そのまま私は、ホートンプラザまで歩いて、Macyでお買い物をした。クリニークが、たまにやる「ボーナスタイム」というセールをやっていることを調べてあったのだ。27ドル以上買えば、70ドル相当のお土産をくれるという太っ腹なセールである。最初は27ドルのファンデーションでいいかと思っていたが、結局59ドルの美白化粧品にしてしまう。サンディエゴ空港は免税店が小さいので帰りは期待できない。いつも使っているものを買うべきなのだ。で、ボーナスグッズをゲット。それなりに使える内容である。後はお洋服を4枚ほど。初日に買い物を済ませておくと、後は後顧の憂いなく?セッションに専念できるのである。

夕方、セッション会場へ行って、レジストレーションを行う。今年のカンファレンスバッグも、なんだか、センスないなあ。でも、スポンサーはAmazonだ。でっかくロゴが書いてある

。いろいろ主役交代がありそうだ。

レセプションでカンファレンスチェアのDr Caren Sax氏と話をしたり、いろいろなつかしい人に会う。みんな元気だ。博報堂の井上さんが、ワインの列で話しかけられた、カマールさんという大学生と友達になる。あ、ホスト校のサンディエゴ州立大の人だ。日本語がうまい。話をしているうちに「金曜日に大学に行っていい?」「どうぞ」ということになった。今回は事前に何もエクスカーションを準備していなかったので、ちょうどいいかも。建築の吉田先生としても大学のアクセシビリティを見たいだろうし。このとこは、ものすごく軽い気持ちでお願いしたのだが。。。

 

夜はイタリアンのレストランへ行く。すでにレセプションで少し食べていたので、前菜とメインを少しずつ分けるつもりだったのに、お店の人が気を利かせすぎて、全部のポーションを人数分準備してくれて、最後は余ってしまった。美味しかったけどね~。アレクサンダーバレーの赤ワインが極上品だった。

 

3月23日

朝からびっしりセッションを組む。初日の午前は、どこもかしこも満杯である。WGBHのラリー・ゴールドバーグが、YAHOOに移っていたので、そのセッションに行ってみたが、満員で入れない。他のセッションでも満員御礼で、そのあと行ったDOJのセッションも満員、だけど、ここは講師判断で待っていた10人くらいが、入れてもらえた。床に座って聞くのは久しぶりだけど、嫌いではない。あらゆる場で、障害者を受け入れないことは訴訟の対象で、と、ADAでの訴訟ケースをいろいろ紹介してくれる。

日本は、この4月1日ので、やっとこの入り口に立つんだなあ。ADAに遅れること27年。長い長い闘いだった。差別禁止ではなく、「差別解消」という、生ぬるい名前だけど、少なくとも告訴できる可能性が出たということは評価されるべきだ。大学も図書館も、レストランも観光地も、あらゆる場所で、障害があるという理由での拒否は禁止されるのだ。どんどん訴訟が起きるといいな。アメリカみたいに。UDがあたりまえになるように。

セッションの数は、以前より増えているかもしれない。同じ時間に取りたいものが重なっていて、涙をのんで諦めたものも多い。第一、人気で入れない。前のセッションの最後のQAやディスカッションの時間にそこを離れて、次のセッション会場に行かないと、入れないのだ。

で、今年の私は、もはや、Webアクセシビリティのセッションや、テクニカルなセッションに出る気になっていない。むしろ、大学のアクセシビリティや、放送技術のUD,図書館の電子化、屋内外の位置情報のアクセシビリティなどに関心が移っている。各大学の発表も、もはやどう法律を守るかではなく、オンラインコースのアクセシビリティなどに進んできている。緊急情報をどうのように多様な市民に伝えるかという米国政府のセッションも、アクセシビリティは大前提になっている。それをどう作るか、運用するかが焦点だ。

キーワードは、「Born Accessible」だ。このセリフ、何回も聞いた。SNSのサービス、Webサイト、モバイルサイト、放送番組、e-learningのコース、緊急対応、e-Healthなど、あらゆる情報サービスが、「初めからアクセシブル」にできるよう変わってきているのだ。そういうものを作り出すツールそのものが、アクセシブルなコードしか吐き出さないし、最初から映像に字幕や音声解説をつけるようにデザインされている。で、そのプロダクト自身ももちろんアクセシブルで、例えば全盲のデザイナーや大学教授が自分でオンラインコースを作れてしまうのである。

ICTにおける公共調達のUDを義務化した508条も、98年に改正されてから約20年近い。どんどん成熟してきているのだろう。あまりにも当たり前になりすぎているかもしれない。ま、ここで日本と比べるのはやめておこう。It’s not my business.

 

ランチはシーポートビレッジのカフェでサンドイッチとスープ。軽くて十分だ。

午後はなんとなく眠い。Googleのセッションは相変わらずの大人気。アンドロイドのアクセシビリティを熱心に語っている。聴覚視覚肢体不自由、いろんな当事者のエンジニアが勢ぞろいだ。彼らはデモブースでも人気だった。でも、昨年使って楽しかったGoogleGlassのデモがないのが、とっても残念。ま、自動運転車のセッションも金曜にあるからいいか。

夜は行こうと思っていたレストランが満員だったりして、なかなか難しい。9人もいると、やはり予約してないと無理かなあ。結局、ピザのファストフード店で簡単に済ます。ちょっとビールやワインがいまいちだったので、ワインやつまみを買いこんで、岩下さんの部屋で飲む!赤ワインを3本選んだ。フランシスコッポラという銘柄のもあったが、みんなの評価は、ミッドナイトというものだった。カベルネが濃い。結局3本を開けてしまった!

ちなみに、この岩下さんのお部屋、最初からツインのシングルユースである。最初、私がこの部屋にアサインされていたのだが、関根が厚かましくも、「私、高層階の方がいいなあ!岩下さん、替わって!」と甘えた結果である。もしかしたら、JTBさん、関根の部屋を夜の宴会用に広めにしてくれていたかもしれないけど、ま、結果として、この少し広めの部屋で宴会が出来て良かった!

 

3月24日

今日も朝8時からワシントン大学のDOITプロジェクトで、シェリルの話を聞く。ここでも、キーワードは、「Born Accessible」だ。もちろん、これまで通り、Universal Design in Education は、DOITの基本である。だが、もはや、UDは、特殊な用語ではなく、聞いていると、一般用語になってしまった感がある。「こうすれば、もっとユニバーサルなソリューションを提供できます」「こっちのほうが、よりユニバーサルですね」そういった、今やっていることの最終理想形として、ユニバーサルデザインを目指すと語る人が多い。

シェリルは相変わらず、機関銃のようにしゃべる。前に某先生方と、彼女、ADHDっぽいよね、と話したことを思い出して可笑しくなってしまった。ま、ひとのことは、お互い言えないしね。とも言っていたっけ。

それから、各社のShowcaseブースなどをはしごする。わ~、AT&Tが、今年は、立派なセッションルームを持っているなあ。で、驚いたことに、見知った顔が。。あらら、IBMのアクセシビリティセンターにいた、Paul とGuideがここでプレゼンしているじゃない。おお、引き抜かれたのね。で、いろいろ聞いていると、AT&Tも、ついに、Chief Accessibility Officerを置いて、熱心に活動しているらしい。ふむ。MSやIBMは、何年も前からこのCAOを置いていたが、ついに通信会社もこの役職を置くようになったのね。アクセシビリティが、財務やセキュリティと同様に、企業にとって死活問題であるという意識が、米国企業に根付いてきたということなんだろう。だから、IBMから二人も引き抜いたんだ。全盲のGuideに話しかけてみる。覚えていてくれた。「みんな、あちこちに行っているよ。Mattは、Facebookに行ったし」おお、もう一人の全盲のエンジニア、Mattは、FBに引き抜かれたのか。これでFBのアクセシビリティも、改善されるだろう。優秀なエンジニアだったBillはSSB Bartへ。うーむ、やはりIBMは、インキュベーターだな。

かつて、サンフランシスコの本社まで、トーキングサインを見学に行ったSmith Kettle社は、相変わらず、空間情報の提示を熱心に研究しているようだ。眼鏡に埋め込んだカメラで撮った写真の画像を、舌で感知するというシステムを説明していた。これ、昔、日本でも、額で感知する研究をしていたチームがいたけどなあ。どうなったんだろう。

午後はデモブースを廻る。いつものことながら、会場は電動車いすと補助犬の塊だ。目につくのは、シニア向けの携帯電話や、薬を飲み忘れないようにするシステムなど、高齢社会に配慮したものが増えたことだろうか?私の関心がそっちに移ったせいかもしれないが。日本企業は少し減って、替りにアジア各国が台頭してきている。でも、キヤノンや日本テレソフトなどがんばっている。Googleのブースには、車いすユーザーや視覚障害者のエンジニアが解説していて、いつも人気だ。

20年もこの会に参加していると、企業の移り変わりを感じる。90年代前半は、IBMがメインだった。95が出てから、しばらくはMSが話題の中心だった。Appleが中心だった時代もある。そして、主流はネットワークへ移っていく。今ではGoogle、Yahoo!、Facebookなどが、人気の中心だ。でも、その中でも、未だにIBMが、独自の企業発表ブースを持ち続けているというのは、すごいことだと思う。ずーっとアメリカや世界のアクセシビリティをリードしてきたんだなあ。内容はクラウドになってきているけど。

 

夜は4人で近くのイタリアンレストランに行く。小さいけどリフトもあるぞ。人気店らしく、お客さんが絶えない。前菜に頼んだオリーブが絶品だった。今度はちゃんと一品ずつ頼んで、少しずつシェアする。私が頼んだチキンのローストは、とても美味しかった。

帰りに、街で人気のデザートの店「iDessert」に寄る。お土産によさそうなものもたくさんあった。岩下さんや吉田先生が幸せそうにパフェを食べていた。

 

3月25日

今回のホテルは、リトルイタリーにあって、とても便利だった。会場まで歩けるし、Wifiは無料ですぐつながるし、朝食にはごはんとみそ汁、ふりかけまである!私はこの事前情報をチェックしておいたので、梅干しと海苔を持ってきていた。受付には日本人スタッフが居て、細かいことは日本語でお願いできる。で、で、で、岩下さんに替わってもらった私の部屋からは、海が見える!帆船も見える!そして鉄ちゃんにはうれしいことに、トロリーもコースタルも、アムトラックさえ見えるのだ!乗り物ファンには幸せな場所である。

午前中はモンタナ大学のe-learingコンテンツ作成システムについてのセッションから始めた。ここでも、Born Accessibleという言葉が使われている。デモをするのは全盲の先生で、彼が普通にこのシステムを使ってアクセシブルなコンテンツを作っていた。

次に、楽しみにしていた、清水建設とIBMのセッションだ。ビーコンを使って屋内外の情報を受け取る仕組みは、昨年のふくまち学会からずっと話題にしていたもので、今回、デモや映像、発表を見せて頂いた。視覚障害者を始め、多くのユーザーにとって、メリットがあるシステムである。行先をスマホに伝えたら、そこまでその人に合った方法で、ナビゲートできればありがたいものだ。清水建設の若いエンジニアの方の英語がとても上手で、日本の可能性を感じる。今度国内で見せてもらう約束をした。会場ではずっとIBMの浅川さんと一緒に座っていた。カーネギーメロンに行っている彼女とは、なかなか国内では会えなくなっているので貴重な機会だ。相変わらずエネルギッシュだなあ。

Googleのオートドライブのセッションも楽しかった。全盲のSteveが運転しているシーンはどきどきする。車はいまや走るコンピューターだ。10㎝単位のGPSで動かせば、過疎地の高齢者の足の確保も夢ではない。で、ナビ系つながりで、UBERのアクセシビリティというセッションに入ろうとしたところで、みずきさんにばったり会う!MSの金子さんに紹介されて、CSUNで会えるかも、と話していた彼女だ。日本と米国での障害者に対する意識の違いなどについて、1時間ほど話し込んだ。こういう人に、ぜひ日本で活躍してほしいものだ。

午後は、初日に約束していた、サンディエゴ州立大を7人で訪問する。カマールさんには大変お世話になった。トロリーの乗り場で、4名が切符を買っている間に電車が出てしまい、大学の駅で待つことになった。で、大学構内は大変広い。モーター付きのスケボーですいすい動く学生もいて、羨ましい。

最初に訪問したのは、アート&デザイン部門のトップである中村光太郎先生である。サンディエゴ州立大学では知らない人のいない有名人だ。実に真摯な人柄で、ADAと建築について、詳しくお話をしてくださった。もはや、新規の建築では、アクセシビリティは当たり前で、もし建築基準に違反していたら、その建物の使用許可や営業許可が降りないだけでなく、設計士は逮捕されるかもしれず、資格はく奪になるそうだ。また、建築費用の20%までをアクセシビリティやユニバーサルデザインにかけるべしというルールもあり、明文化はされていないが判例で決まっているという。

「ADAは人権ですから」と、穏やかに話をされる先生の話を聞いていると、なんだか、日本の建築家が、バリアフリーを福祉や恩恵、たまには負担のように語っていたことが、恨めしく思えてくる。その建物が、サービスが、No One Left Behind 誰をも排除しないという基本理念のもとに進められていく国との違いを想う。ま、これから27年後には日本もそうなっているだろう。

障害学生支援センターにも連れて行って頂く。センター長のCindiもとても優しい方で、アポなしで行った私たちにも詳細な説明をして頂いた。ここには障害学生が1300人いる。総数32000人なので4%だ。アメリカの大学では少ない方である。日本の20倍以上だが。

建物はほぼすべて、UDになっているので、授業をどのようにアクセシブルにするかがメインのようだ。授業におけるノートテイクなどは支援者を雇っているのでこれをアサインするという役割はない。これで忙殺される日本の障害学生支援センターとは、かなり立場が異なるようだ。学生の話にじっくり耳を傾け、よりよい合理的配慮を共に作っていくという態度が、羨ましかった。もともと、海外の障害学生は、高校を卒業するまでに、自立した生活の基礎を身に付けている。だから、大学入学と同時に自立生活に入る。だが、日本の場合、そこから支援しないと一人で生活することが難しい場合もある。

日本の場合、受験勉強に忙しく、自炊や家事の経験のないまま下宿生活に入る学生も多く、別に障害がなくても、自立した生活を営む力が弱いので、食生活が偏ったりする。ま、そこまで心配する必要はないのはずなのだが。。

夜は、オールドタウンで、メキシカンフードの宴会となった。総勢11名だ。岩下さんがあんなに辛い物が好きとは知らなかった。サルサを全部かけても大丈夫そうだ。隣の席の女の子が、マリアッチの演奏に反応して踊っている!可愛かった。

 

3月26日

もう帰国日である。早いなあ。今朝は荷造りだけすればいい。で、今日は土曜日なので、歩いて数分のところで開催される、リトルイタリー名物、土曜朝市へ行ってみる。これも事前情報で、朝食を食べずに行ってみた。わ~、広い。大通り一杯に、お店が並んでいる。お花、野菜、果物、魚、野菜苗、お茶、洋服、アクセサリー、絵、彫刻、なんでもある!近隣で、主にオーガニックなものを作っている人々が、さまざまな手作り品を売っている。なんだか、京都の手作り市みたいだ。私もだんだんスイッチが入ってきて、ばしばしお買い物をしてしまう。オーガニックのガーリックオリーブオイルは、100mlのを10ドルで買おうとしたら「250mlで15ドルよ!」と言われて素直に大きなボトルにしてしまった。ローストアーモンドを買おうとしていたら、常連さんが、隣にあったアーモンドバター2つ!と、パックを買っていく。美味しいの?と聞いたら、「もっちろん!ブレンドが素晴らしいんだ」とおっしゃるので、つられて私もメキシカンチョコ味のアーモンドバターを買ってしまった。なんか、どんどん荷物が重くなる。。。

会場には、食べ物屋さんがたくさん出ている。海産物もある。大きなウニをさばいてもらった。醤油とレモンをかけて食べる。ちょっと大味かなあ。で、行列のできているクレープ屋さんに、並んでみる。わあ、もう手持ちが9ドルしかない。買える範囲のを選んで、作ってもらった。これは部屋に持って帰り、部屋でコーヒーを淹れて頂いた。

10時40分に宿のエアポートシャトルを予約していたので、ロビーに集合する。なんだか、今年は、あまり落ち込まなかった。もう、日本と欧米諸国を比較しても、仕方ないやと腹をくくったせいだろう。数年前は、日本を変えられないことにいらだっていた。私はこの20数年、何をしてきたんだと、自分に腹を立てていた。でも、もう、そんなことを考えなくなったのだ。これは進歩か?後退か?いろいろ思うことはある。だが、なるようにしかならないのだ。

サンディエゴの空は青い。年に一度、この青い空を見ると、それまでのうつうつした気持ちも晴れる。そうだ。明日も明後日も、雲の上は青空なんだから。きっと日本だって、どしゃぶりの雨でも、ずっと上空には青空があると知っていれば、そんなに落ち込まないで済むのだろう。

帰りのエアの中では、ずっと岩下さんのとなりでいろいろな話が出来た。たくさん記事書いてね。映画は「マイ・インターン」が面白かった。ネット通販の会社を立ち上げた若い女性社長のもとに、70歳のインターンがやってきて、スマートに支援してくれるという話だ。シニアを勇気づけるものだった。

今年も楽しいCSUNだった。参加して下さったみなさん、本当にありがとう。締め切りに間に合わず、涙をのんで諦めた数名の方々、ごめんなさいね。来年は一緒に行けるといいな。JTBの鶴本さん、お世話になりました。また会おうね!


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