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ユニバーサルデザインとは、みんなのためのバリアフリー環境

Mace, R (1985). Universal Design: Barrier Free Environments for Everyone. Designers West, 33(1), 147-152.

未来の住宅は、戸建ても集合住宅も、高齢者や障害のある人のための特別なものではなく、「ユニバーサル・デザイン」で誰もが利用できるものになるでしょう。ノースカロライナ州ラレーの建築士であり、全米で最高のアクセシブル・デザインの権威であり、ユニバーサル・デザインという概念の父であるロン・メイス氏は予言しています。

ロン・メイス氏は、障害のある人や高齢者のためのデザインを専門に手がけるデザイン事務所であるバリアフリー・エンバイロンメンツ社の代表です。また、アクセシブル・デザインに関するデータや製品の開発、販売をする情報サービス企業である、IDC(Information and Development Corporation)の会長でもあります。

ユニバーサル・デザインとは?

ユニバーサル・デザインとは、簡単にいうと建築物や設備を、安くあるいは余分なお金をかけずに、障害の有無に関わらず誰にも機能的で且つ魅力的になるようにデザインする方法のことです。この考え方では、移動に問題を抱えている人に対する製品やデザインから、高額な費用がかかる「特別」というラベルを取り除き、同時に、現在の多くのアクセシブル・デザインがもつ施設のような外観をなくします。

ユニバーサル・デザインの概念は、今後十年の間に多くの支持を得るようになるでしょう。なぜなら、アメリカの高齢化によって身体的制約をもった人が増えるからです。ユニバーサル・デザインはこの増大するアクセスに関する要求に対する、唯一経済的に実現可能な答えです。

多くの場合、デザイナーは建物を設計する際に障害のある人や高齢者の要求を考えません。たとえ、大多数のデザイナーがアクセシビリティーの基準が定める最低限の要求事項を満たすべきであることを理解していても、多くのデザイナーは利用できるデザインや製品に関する最新の情報を良く知りません。そのため、アクセス可能ではあるが、非常に高額で、施設のような外観で、しかも維持管理が大変な建物を建築することになります。

多くの建築士やデザイナーは、自分たちがデザインする建築物や製品が人口の大きな割合を占める、このような人々の生活にどの程度の影響を与えるかということはほとんど知りません。

中程度の移動障害を持つ若い人は、アクセスブルでない住宅に家族と一緒に住むことが難しいため、介護施設に入れられています。薄暗い照明の下で小さな文字で印刷されたメニューが読めないのは恥ずかしいので、年老いた夫婦はもはやレストランに行きません。アクセシブルでない職場に勤める経験豊富な役員が、突然車椅子を使わなければならなくなった場合、企業はその人を手放さざるを得ません。聾の人は、火災報知機のアラームが聞こえないために、小さな火事でも死亡してしまうでしょう。このようなことは建物や製品がユニバーサルにデザインされていれば起きえないことです。

コンセプトづくりの段階でアクセスに無頓着なデザイナーは、出入り口を地面よりも高いところに設定するでしょう。後ほど、基準に適合させる必要から4つの内の1つの出入り口に斜路を追加することになります。この本来なら必要ない斜路のために、おそらく10,000ドル余計に必要となるでしょうし、凍えるような寒さの時には事故の責任を負わないようにするために凍りつかないように維持する費用も必要になるでしょう。

出入り口を地面と同じに、あるいはわずかな高さに設計するか、地盤を高く設けてテラスや橋でアプローチするように設計しておけば、すべての出入り口に水平なアクセスが可能になり、斜路は必要なくなり、結果として雪や凍結のための維持費も不要となります。誰にとっても安全な施設とすることができます。

これはアクセシブル・デザインと製品に関する正しい情報が、建築士やデザイナーが全ての人に対して魅力的で安価なアクセスを提供する際に、どんなに助かるかを示す一例に過ぎません。

デザイナーはこれらの施設を必要としたり、利用したりする人はわずかであると考えがちです。この考え方はよくありがちな誤解で、障害のある人やアクセシビリティに対するデザイン業界の態度に影響を与えています。

誤解

障害のある人、アクセシビリティを必要としている人、あるいは、アクセシビリティから恩恵を受ける人に関してはいくつかの誤解があります。アクセシブルな施設に対する要求は昔から誤解されてきました。企業、団体、政府機関などは、アクセシブルな施設を必要としている人はわずかであり、それらは障害に「打ち勝って」活動的な生活を送ることができた、希で「勇敢な」障害者だけであると考えてきました。障害に打ち勝つことができた人の多くは裕福で、他の障害者が享受することができないような自由を手に入れるために、介助者を抱えたり、自分たちの環境を改善したりすることができます。

裕福な障害者はかつて、比較的威厳をもち世間から隠れて生活してきましたが、世間で目立つ存在になった障害者の多くは、自らの障害を隠すか控えめにいうべきで、社会に受け入れられるためには要求すべきではないと学んできました。フュー・ギャラハー(Hugh Gallagher)は最近の本「The Splendid Deception(壮大な嘘)」でルーズベルト大統領が自らの障害の証拠を隠し、大衆が彼のマヒに気付かないようにするために途方もない賭けに苦しんだことを明かしました。ギャラハーは、ルーズベルト大統領がアクセスできるようにするための改造がワシントンでたくさん行われ、彼の死後数日以内にそれらが取り除かれたと記述しています。これは、多くの障害者の機会や尊厳を取り上げ、稀少で力のある障害者個人に対して大がかりで高額な改造をするという狭い了見の主要な例であります。

裕福で有名な障害者が社会から隔絶することで世間から身を隠している一方で、裕福でない障害者は施設での生活を余儀なくされるか、家から出ることができない状態に置かれていました。これは、障害者は依存的で、無力で、通常貧乏であるという別の誤解を生みました。障害者が無力な少数派の人口グループで、意思決定できず購買力も無いと信じていたため、ビジネス界は障害者を成長しうる市場分野とは考えませんでした。建築士、エンジニア、デザイナー、建築業者、そして製造業者は、誰もが使える建築物や製品を提供することを学習しませんでした。

障害者が使うことができる建築物や製品の欠如によって、企業人はアクセシビリティの必要性を否定しやすくなりました。なぜなら、彼らが作ったアクセシブルでない店やビジネスを利用しようとする障害者を見ることがなかったからです。障害者はアクセシブルでないサービスを利用しようとはしなかったのです。この否定と非使用の悪循環は何年も繰り返され、障害者に何ができて何が許されるかという固定観念を作り上げました。障害者の権利とアクセシビリティの擁護者は、今でもこうした考え方と戦っています。

3つめの誤解は、障害者や高齢者だけがアクセシビリティを必要としているという考え方です。実際我々はさまざまな時点で何らかのアクセス可能な状況を必要とします。個人のアクセシビリティに関するニーズを、その人の生涯を通して見れば、誰もが一度や二度は「障害者」になることは明らかです。若いときは耐えることができる不便さの多くは、年をとると、たとえ障害はなくとも明らかにバリアに感じることも明白な事実です。大人のためにデザインされた世界では幼児は無力で、不利な立場にいる存在になります。聴力の低下、視力の低下、関節炎、その他加齢に伴う症状は全て障害です。障害を経験せずに生涯を過ごすことができる人は稀であり、生涯を通しての人々の要求に対応することで、誰にも容易に使えるものをつくることができます。残念ながら建築士の多くは建物をアクセシブルにデザインするための正しい情報を持ちえていません。なぜならデザイン学校では障害のある人、子供、高齢者、女性、そして彼らの異なる能力に関しての教育を行っていないからです。

障害のある人に対する誤解について理解すれば、現在アクセシビリティの世界で何が起きつつあるのか、これらの変化が建築や製品のデザインにどのような影響を与えるのかを知ることができます。

現在の流れ

活動的な障害者の数は急速に増加しつつあります。医学技術の劇的な進歩、救急救命システム、新しい医学的手技、そして早期からの介入が生命を救い、命を長らえさせています。現在では重度の障害を持つ人も助かり、他の人と同じく長生きできます。社会保険の障害者給付とメディケイドなどのような給付制度の統計から、障害を持つ人の数はおよそ3,600万人と政府は算出しています。多くの裕福な障害者は政府が提供している給付サービスは利用していないことから、産業界ではより大きな数字があげられています。いくつかの製造業者は、家庭や個人で使用される支援技術や医療機器の市場は8,000万人と見積もっており、そのほかの製造業者では、家族や友人や高齢者を含めて計算し、アクセシビリティを必要としている人は軽く1億人を超えると見積もっています。どの値を使おうとも、アクセシビリティの影響を受ける人は人口の大きな割合を占め、確実に増加していることは明らかです。

建築界においてのアクセシビリティ運動は、消え去ったり下火になったりはしません。これは、省エネルギー運動と同じです。生命維持装置、コンピュータ制御、拡大コミュニケーション装置などを積んだ電動車椅子のような新しい技術は、障害のある人が社会の中で活動し、重要な位置を占めることを可能にしています。アクセシビリティは何百万という人々の生活に直接影響を与えています。米国における障害者の権利擁護に対する積極的な行動は、今日新しい法律の制定(リハビリテーション法)や多くのアクセシビリティ標準に結実しました。障害者支援活動家によるこれらの要求は建築業界を後押しし、いくつかの建物が最低限アクセス可能になりました。

統一標準

しかしながら、つい最近まで、アクセシビリティに関する基準や標準の間にいくつかの違いが存在し、デザイナーが最低限度のアクセシビリティを達成したり、製造業者が低価格のユニバーサルな製品を販売したりすることを阻んでいました。

ユニバーサル・デザインという考え方は1980年に改訂発行された「建築物を身体障害者が利用可能にするための仕様書(Specifications for Making Buildings and Facilities Accessible to and Usable by Physically Handicapped People (American National Standards Institute – ANSI A117.1. 1980))によって進展しました。1980年以来、これらの新しく拡張されたデザイン標準は全体として、また部分的に連邦政府に承認されました(連邦統一アクセシビリティ標準 - UFAS 1984)。結果としてほとんどの州と全ての連邦政府機関は同じアクセシビリティ標準を使用することが求められることになりました。1984年以来、連邦政府の支出による建設はアクセシビリティに関して統一された標準に従うことになりました。

この新しい統一によって、新しいデザイナーはアクセシビリティに関する最低限度の要求を学ぶことができるようになり、既に活躍しているデザイナーは異なるプロジェクト間で、前例のない一貫性を経験できるようになりました。この改善された統一は製造者に対しても、新しく、よりユニバーサルに使用できる製品を全国共通に提供することを可能としました。

製品

いくつかのユニバーサル・デザインの良い製品事例が存在しており、デザイナーや仕様書作成者はすぐにでも使うことができます。

ユニバーサルに使用できる製品は、特定の問題を解決するための新しいデザインの結果として生まれるかもしれません。ある満足のいかないデザインに対する改善であったり、新技術の成果であったり、あるいはすでにあるものを違った視点でユニバーサルな使用法を認識するだけであるかも知れません。

すでに存在する製品でユニバーサルに使用できるという一つの例は、レバー式ドア・ハンドルです。ドア金物は手の力が弱い人や手が使えない人にとって問題です。ANSIとUFASのどちらも、ドア金物は片手で容易に握ることができる形状であり、強く握ったり、つまんだりしなくてもよいもの、あるいは手首をひねらずに操作できるものでなくてはならないと性能規定しています。レバーで操作可能な機構、プッシュ式機構、そしてU字型ハンドルは基準を満たすデザインです。ユニバーサルな使用性を評価する一つの方法は、操作やハードウエアが、5ポンド以上の力を必要とせずに握りこぶしや平手で使用できるかを調べることです。レバー式ドア・ハンドルは、丸い握り玉式ドア・ノブとは異なり、誰もが使用できます。

自動ドアや半自動ドア(パワー・アシスト・ドア)も誰にとっても役に立つ製品です。重たいドアは誰にとっても開けることが大変であり、両手に荷物を持っている人はさらに手動式のドアよりも自動ドアのほうを選ぶでしょう。これらの多くは現代の建築物では新しい標準になりつつあります。

アクセシビリティ標準が要求する特別な仕様の多くは、多くの人に利益をもたらし、ユニバーサル・デザインは一般のユーザーにも採用されるでしょう。中心からずらして配置する浴槽の蛇口がその例です。アクセシビリティ標準は浴槽用の蛇口を浴槽の外側に寄せて配置するように求めています。これは浴槽に入る前に浴槽の外から湯温を確かめ、湯を貯めることを容易にできるようにするためです。この配置はすべての浴槽使用者にとって手が届きやすく、配管をずらすだけで実現可能です。

ユニバーサル・デザインは従来のデザインを再考することで実現できる可能性があります。公衆電話は長い間、問題とされてきました。ダイヤルと受話器を立位の人の視線の高さを基準に設置すると、座位の人にとってはコイン投入口が高くなりすぎます。コイン投入口を低く設置すると、立位の人はかがみこまないとダイヤルが見えません。電話機の設置高さの問題ではなく、電話機自体のデザインに問題があります。コイン投入口、ダイヤル、ボタン、受話器、および説明書きを水平に同じ高さになるように配置した電話機を立位の人の視線の高さよりも低く設置し、立位の人は見下ろすことができ、座位の人は正面から見ることができ、子供は見上げることができるように印字した複数の面を持ったボタンをつけることが考えられます。このような電話機を聴覚障害者用装置とともに誰もが手が届く範囲に設置すれば、ユニバーサルにデザインされた製品とすることができます。

現代の電子機器もユニバーサル・デザインを技術的にも経済的にも実現可能にしています。コンピュータ・チップなどの半導体素子によって、視覚や聴覚に問題をもつ人に情報を提供できるようになります。自照式で蝕知できるクリック感と電子音のフィードバックを提供する操作部は誰もがわかるフィードバックを与えることができるでしょう。音声出力回路は、エレベータ操作盤や自動販売機などに文字情報だけではなく音声情報を提供できるようにし、いろいろな言語に対応することも可能にします。赤外線補聴システムや遠隔アラーム、無線装置、およびコンピュータは真にユニバーサルな建築物や製品を従来の技術と変わらない費用で創造する可能性を切り拓くことでしょう。

非常口と警報装置はユニバーサルな製品が不可欠な領域であり、既存製品の改良だけでなく新しいデザインも必要です。警報装置は聴覚に障害のある人にも視覚に障害のある人にも認識できるように、見え、かつ聴こえるものでなければいけません。製造業者は、フラッシュ・ライトとすべての人が聴き取れる音量の警報を有する標準的な非常口のサインを製造しており、ユニバーサル・デザインの概念を実現しています。

誰にも使用できる良いデザインの製品を指定することが重要です。しかし、この作業は、特に多数の製品をふるいにかけるような場合には、正確な情報を入手できなくては実現できません。アクセシビリティに関する多くの情報を提供している書籍や印刷物は、いくつか存在しています。アクセシビリティ標準を満たす数百もの製品の製品情報を、6か月毎に更新しつつ提供している優れた情報源もあります。この”The System”という情報源はIDC(Information Development Corporation)が提供しており、これは建築物や設備をデザインする上で重要な価値のある情報も提供しています。

ユニバーサル・デザインは今まさに産まれた概念です。これはまた、進展するデザインの最先端であり、新しい考え方や、「良いデザイン」の本質、つまり誰にも使うことができる実用的なデザイン、を取り込んだ製品や建築物や設備をデザインできるようにすることによって、デザイナーに従来の古い考え方に挑戦する機会を与えるものです。

(図のキャプション)

浴槽の外側に寄せて設置された蛇口は誰にも手が届きやすい。

ユニバーサルにデザインされた段差のないロール・イン式のシャワー・ブースは障害のある人も障害のない人も使用することができる。

アクセスできない電話機は座位の人には手が届かない。

高さ調整可能なキッチン・カウンタは使用者の要求に合わせることができる。

日本語訳:相良二朗

Mace R. 1985. Universal design, barrier free environments for everyone. Los Angeles: Designers West.


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