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「2000年テクノロジーと障害者」会議ツアー

3月19日 カリフォルニア大学バークレイ校

<バークレーを電動車椅子のJBと回る>

朝からしっかりビュッフェで食事をして8時45分に集合。しかし、静岡の中村さんがいない。電話をするといま、目がさめたとのこと。やむなく残していくこととする。

電車の中の情報はわかりやすいバートに乗ってバークレーへ向かう。切符販売機がものすごくわかりにくい。視覚障害の鳥原さんのチケットが安くなると聞き、お姉さんに頼むと赤いチケットを2枚くれた。気前がいいなと思いつつ、列車を待つ。時刻表なども駅にはなくて、ちょっと不親切な気もする。電車とプラットホームの間には3センチくらいしかなく、段差もまったくないためみんな自転車を持って乗りこむ。ま、すいているからできるのでもあるが。車椅子用シートやプライオリティシートとおぼしき場所には、連邦政府の法はここが障害者優先であることを要求する、という文言がどこにでも張ってある。また、緊急時に何をすべきかという情報も大きな字でかつ絵でもわかりやすく表示してあり、その真っ先に障害を持つ人をどう優先して誘導するかが書いてあったのが印象的であった。

そのような情報は各車両にかならずあるのだが、広告は最低限しかない。日本の通勤環境とつい比較してしまう。どうしてあんなにエロ雑誌のきわどい表現を電車のような公共の場で大量に張り出すのだろう。あの下で満員電車に朝から揺られなければ会社にたどりつけない環境を考えると、女性が仕事を続けるのも困難だし、男性が痴漢に思われるのも無理はないと思われる。つくづく、貧しい国だと思う。

大好きなJBに再会できて嬉しいさて、なんとかバークレーにたどりついた。JBが待っている。相変わらず、なんという素敵な笑顔だろう。彼の笑顔を思い出すだけで、わたしは幸せな気持ちになれる。彼はC4頚髄損傷で、首から下はまったく動かないが、首をわずかに動かす特殊なコントローラーで電動車椅子を操作する。運転は非常にうまく、どこへでもひとりで動き回れる。かつて彼はスタンフォードのCSLI(言語情報研究所)のWebMasterをしていた。音声認識とヘッドマスターを使って、まったくパソコンに接触しないでばりばりホームページを作っていたのである。それはまるで魔法のようだった。。。いまかれは、MBAをとるためにバークレーに来ている。なんて優秀なんだろう!

学校内はとってもアクセシブル彼に、大学内を案内してもらう。ただ、今日は日曜だったため、図書館や障害を持つ学生センターは開いていなかったのが残念だった。学内はほぼ、完全にアクセシブルだったが、シンボルとなっている塔はさすがに最後は階段だったのでJBは下で待っていた。最上階からの眺めはすばらしく、昨日のツインピークスなど、サンフランシスコのすべてが、また違う方向から見渡せた。今日も素晴らしく美しい日だったことを記しておく。

巨大なサラダにびっくりテレグラフアベニューへ行って、学生に人気のカフェで昼食をとる。サラダとスープでもおなかがいっぱいだ。すごい量であることは同じである。JBにはわたしと石田が一緒に食べさせた。お互い慣れていないので、ちょっと難しかった。ごめんなさい。

学生センターまで連れていってもらって、ここで解散した。彼が、「千佳、もう一回、HUGしてくれる?」と言ってくれて、すごく嬉しかった。もちろん、おおっぴらにハグしたのはいうまでもない。

街の中はほんとうに車椅子ユーザーだらけだ。木陰で太鼓をたたいているドラマーたちの中にも、かっこいいのがいたし、手元レバーで電動を動かしている人もいた。だんだん見なれてきてしまう。今日は少ないほうだなと思った。日曜だものね。

午後はまたBARTに乗って、フィッシャーマンズワーフへ向かう。MUNIにも乗ってみる。ピア39で1時間くらい遊んだ後、シーフード屋台へ行く。えび、かに、さかながいっぱい。客引きに熱心なおじさんに、結局は負けてそこで食事をしたが、ワイン2本にゆでたてのかになどを結構たくさん頼んで、ひとり24ドルですんだ。安い。

最後はお決まりのケーブルカーで帰った。勾配がきついところは、やっぱりこわい。レトロな車体といい、手で回すパフォーマンスといい、単なる「路面電車」を世界一有名なのりものにしてしまうあたり、SFっ子は優秀なマーケティングマネジャーを持っているとしか思えない。これからは自治体も、センスが問われる時代だと思う。


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