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第二章 冬の章「贈り物として」

5.いのち(その1)

 孝志は迷っていた。たっくんは、ふえんふえん、とか細く泣き続ける。寒いのか、おなかがすいているのか、わからない。あたりは暗くなってきた。白い光の 中で、徐々に灰色が増えていく。そんな感じの日暮れである。吹雪の中に閉じ込められていながら、周囲は風の音以外聞こえない。それも次第に収まってきたよ うな気がしていた。後、数時間しかガソリンは持たないだろう。ヒーターが切れたら、僕もたっくんも死ぬ。僕だけならいい。でも、僕は、たっくんを道連れに する気なんか毛頭なかったのだ。きっと町は大騒ぎになっているだろう。僕よりも、たっくんを心配して。岸上さんの一家の顔が浮かんだ。くそっ。迷惑をかけ る気なんかなかった。そりゃ車を盗んだのは悪いと思ったけど。自分だけが死ねればよかったんだ。
「どうしてなんだよお」
 孝志はたっくんに向かって言った。
「なんでお前がこんなとこにいるんだよ。困るじゃないか」
 たっくんはもっと激しく泣き出した。孝志は途方に暮れた。

 車を移動しようか?人目につくところまで戻して、僕だけ林の中へ戻ればいい。そう思ってエンジンをかけた。だが、雪の中にボンネットを突っ込んでしまっ た車は、なかなかバックが効かない。少しだけ雪を振り落としただけでまた止まってしまった。やめよう。ガソリンがもったいない。そう思って、孝志ははっと した。生き残ることを考えているんだ、僕は。なんだか不思議で、そして少し癪だった。なんで僕が生き残らなきゃいけないんだ。夕闇が濃くなってくる。たっ くん、おなかすいてるだろうな。でも、どうしたら連絡できるんだろう?自分自身も、少し空腹になってきた。お昼に岸上さんの家で煮込みうどんを食べてから 午後は何も食べていない。湯気のたった煮込みうどんの鍋を思い出すと、ついおなかが鳴った。なつかしく、暖かな団欒。僕が欲しいと思っていたもの。でも僕 はもしかしたら、岸上家からそれを奪ったのかもしれない。たっくんからも。ポケットに手を入れて何かないか探す。たしか、チョコレートバーが半分あったは ず。。あった。それと、ポケットの奥から、もうひとつ出てきたものがある。ルイカだった。孝志は、呆然として、それを見た。これで連絡すれば、たっくんを 助けられるかもしれない。

 ルイカを前に、孝志はまだ考えている。父、雪夫のことだった。父さんは、僕のことを本当は嫌っている。父さんの思い通りの生き方をしないから。僕は母の ためにいい子でいようとした。有名中学へ入り、昔の友達とも縁を切った。でも、父はそれだけでは満足しなかったのだ。いったいどこまで期待に応えればいい の?僕は、両親の期待に応えるためだけに生きているのか?僕は、これまで自分で何かを選び取ってきたことなんかない。みんな、お膳立ての済んでいるところ を、何の危険もなく歩いてきた。でももうそんなのはあきあきしているんだ。たっくんがまた弱弱しく泣く。まったくもう、こうやって、僕がやっと自分で何か を選んだのは初めてのことなのに、どうしてこんな赤ん坊がくっついてくるんだ。自分でコントロールできる何か。車でも、機械でも、僕が、自分の考えたとお りに動かせるもの。もちろん、それは人間じゃない。僕は、誰一人、自分がコントロールできるとは思っていない。でも、両親は、僕がまるでロボットのよう に、自分の制御下にあると信じているんだ。孝志はチョコレートバーを飲み込んだ。もう死ぬっていうのに、なんて意地汚いんだ。武士は死ぬ前には何も食べな いっていうぞ。死にたいなんて言っておきながら、やっぱりおなかがすくのって、なんだか喜劇的だな。だけど、たっくんは、もっとおなかがすいているはず だ…。
 申し訳ないような思いと、このまま自分だけは消えてなくなってしまいたい思いとの間で、孝志は逡巡した。だが、ついに、思い切ってルイカの電源 を入れた。

 町役場では、町の人が寄せた情報をもとに、ルートの特定がかなり絞られてきていた。
「あの黒い4WDは、やっぱり岸上さんとこの車だ。だったら、轟峠から、金山ダムのほうさ、向かったんじゃねえかね」
「んだ。だとすると、わき道は、金山のここらあたりに、6本くらいあるけど、この沢あたりにはいりこんでいるんじゃねえか」
 会話が地図を介しながら徐々に煮詰まってきていた。
「了解、轟峠と金山近辺のみなさんは、付近を探索しますので待機してください」
 住民たちが金山近辺に続々と集結し始めていた。ここは枝道が7本もあり、それぞれが山の途中で消えている。探索は時間がかかりそうだった。

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