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第一章 秋の章「温泉地の秋」

8.木の里で(その1)

 遼子さんの車で、みなで『木の里』へ向かう。市街地から約二十分、森の中に工房や展示ルーム、喫茶店などが点在する、木製家具の製作所だ。小川も 流れている。小さな水車も風車もある。屋根はどうやら太陽熱発電の装置らしい。展示フロアを通りかかったとき、祖母が声をあげた。
「あら、これ、私が『風と森の村』で使っている家具だわ」
 そうだ、なんとなく見覚えがあると思ったら、今滞在しているログハウスの家具はみんなここで出来たもののようだ。遼子さんが、滞在客から取得し たデータに基づいて、最適な使い勝手に最終調整して各部屋に届けるのだと話してくれた。ベースとなる部分は大量生産でも、テーブルの足やたんすのはかまな ど、オプション部分をオーダーメイドにすればほとんどの人に対応でき、もともと柔軟な素材である木材や竹はかなりの部分の再利用が可能だという。遼子さん が通りかかるとスタッフが声をかけ、今作っている家具について会話していた。翼が送ったデータも、こんなふうにして祖父母のベッドになっていたのか。森の 中には小さな小道があって、一番奥にはかつての廃校を利用した宿泊施設もあるのだそうだ。フィトンチッドが頭に心地よい。
 遼子さんは、森の小道を抜けて、これもログハウスの小さな建物へ向かった。
「香成さん、いらっしゃいますか?」
 出てきた男性は、三十代半ばの、いかにも頼りがいのありそうな人だった。目が優しい。翼は「木を植えた男」って絵本に出てくる森のきこりを思い 出していた。
「麻生香成です。香りが成ると書いてかなると読みます。よろしく」
 父が応じた。
「始めまして、上村圭吾です。これは家内のめぐみです。しかし、香成さんとは変わったお名前ですね」
「ええ、父が商社マンで、両親がパナマ運河のそばに住んでいたときに僕が生まれたものですから。Canal、運河と名づけたらしいです」
 なんて壮大な話だと思いつつ、翼はどこかで聞いた名前のような気がしてならなかった。彼のオフィスへ案内された。木でできた部屋の中に、スマー トで美しいIT機器が、木製のラックや机の上で調和している。ううむ、僕の研究室の、あの、無機的な雰囲気とはえらい違いだ。配線も見事に処理され、まっ たく違和感を感じない。
「きれいなPCですね」
 翼は思わず機器へ近づいた。
「自作機です。部品はネットでも買いますが、筐体などは自分で作っています。本当は全部木製にしたいんですが、強度を考えてケナフや竹をカーボン で固めた素材を使っています」
「ここでルイカを作られたと伺いましたが・・」
 香成さんはにっこり笑った。なんて素敵な笑顔なんだろう。
「ええ、最初のコンセプトは僕から提案して開発しました。でも、どんな用途で使うのかといったアプリケーションのありかたや、街の情報共有のため のイントラネットとしての仕組み、ユーザーインターフェースの改良などは、街のみなさんが積極的にかかわってくださったからここまで来たのだと思います」
「私にもちゃんと使えるんです。本当に有難いです」
 祖母が自分のルイカを出して見せる。街の中で見つけた小さな記憶が『私の好きなもの』という自分だけのコーナーに入っている。お地蔵様、レトロ なパン屋などの写真の中に、イケメンの写真が何枚かあって笑えた。
「街の人自身が開発にかかわったのですか?」
 翼の工学部での設計開発も、企業での製品開発も、ユーザー配慮型設計として、設計の初期段階からユーザーの意見を聞くのは一般的になってきてい るが、システムそのものがユーザー参加型で成長するというのはあまり知らない。リナックスの市民版のようなものなのだろうか?

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