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なぜSOHOで働くことを決意したのか

オンライン上での仕事が増え、社外からの指名の仕事が多くなった

SOHOを始めた理由はまず、片道で近い時間、通勤に疲れたからである。次に、オンライン上の仕事が圧倒的に多くなっていったことも大きい。そこで、なぜ私は会社に行くのかということを真剣に考えるようになった。今の状況では、最低コアタイムには会社に居なければならない。当時、SNSセンターでお客様の相談を受ける仕事をしていたが、会社に居る必要性に疑問を感じていた。その頃、東急ケーブルTVがインターネット接続サービスを始めたが、利用してみると会社のLANよりもスピードがはるかに速い。また、会社での仕事についていえば、社外からの個人的な仕事が増加してきた。「こういった製品を作った。もっと高齢者や障害者に使って欲しいのだが、どうしたら売れるようになるのだろうか」という問合わせを受けることが多くなった。個人的には、2ヵ月程度あれば、市場調査から販路開拓まで全て請け負ってやってみたいと思うが、会社に属している以上現実的には無理な話であった。このような個人的に依頼される仕事は、独立しなければできないなと感じていた。

IBMのお客様相談センターで得たノウハウを、企業の枠を越えて生かしていきたい

IBMでは、高齢者や障害者が、パソコンやインターネットを使うにはどうしたらよいかという仕事に従事してきた。6年前に、トップに直訴するかたちでSNSセンターを設立した。このような相談・製品企画のセンターを作ったのは、コンピュータ・メーカでは初めてであった。そこでは、年間1万件の相談問合わせがあり、ウェブ・アクセスも月間30万アクセスに達した。しかし、こうした仕事から得られたノウハウは、他のメーカと合わせて、全国規模でシェアすべき情報である。パソコンが情報家電化しているなかで、こうした問合わせや要求に基づいた製品企画を行っていくのは、IBM単独では無理である。

来世紀に到来する高齢化社会、そして情報化社会に対して、実際問題としてどのように折り合いをつけるのか、各省庁および自治体もきちんとした方向性を示していない。このような状況であるからこそ、あらゆる省庁、あらゆる企業が、一緒になってこの問題に取り組んでいくべきではないかと感じていた。そこで、このような会社がないものかと思っていたことに加え、他社からも一緒に仕事をしないかという話もあったので、会社を辞め、起業する決心をした。

また、IBMではこれまで課長職であったが、部長に昇進するためには、これ以外の仕事もしなければならなかった。このような仕事の仕方は本音ではなく、自分が好きな仕事だけをしたかったということも、会社を辞めた一つの理由であった。

都心のオフィスからは新たな発想は生れない−生活者の視点

さらに、「モノをつくる」側の人間として、毎日都心に通ってオフィスの中に居る状態でモノをつくるということが正しいのか、という疑問をもっていた。このような状況では、新しいモノの考え方や、発想そのものが、生れてこない。今後世の中に提供していかなければならないものは、高齢者や障害者、また一般的な主婦が、家で使うインターネットやパソコンなどの端末である。それらは、果たしてオフィスの中から発想されるのかという疑問がある。家のなかで、生活の時間・空間に居ないと分からない部分はたくさんある。都心のオフィスの中だけで、この分野の製品がデザインされていくことに対して疑問をもっていた。もっと異なる時間軸、空間軸で見ていく必要がある。今、モノが売れないといっているのは、単に、この分野を理解していないからであると考える。公的機関の委員会に参加してみると、生活者の視点が入っているとは思えない場合も多い。自分でSOHOを起こしてみて、実際に生活をしながら、コンピュータを使うというライフスタイルを実践してみると、まったく異なる製品企画ができるような気がする。

アメリカでは、ビジネス=起業である

以前から自分で会社を起こしてみたいと思っていたのは事実であった。10年ほど前に、2年間、夫の海外赴任に伴い、ロサンゼルスで暮らしたことがある。IBMは良い会社で、配偶者が海外赴任する場合、配偶者がIBMに勤めていようがいまいが、同伴することを理由に、会社を休職することができる。この米国滞在で、大きなカルチャー・ショックを受けた。大学に行って、"ビジネス"というコースを聴講したら、単にビジネスルールやビジネス・マナーを学ぶのではなく、どうやって会社を起こし、経営していくのかというコースであることを初めて知り驚いた。当時、ロサンゼルスの日系ナーシングホーム(日系人向け高齢者ホーム)で、週2回ボランティアをしていた。そのなかにかなり重度の障害をもつアメリカ人がいた。アメリカの制度では、日系人だけの施設というのはない。差別につながるというのがその理由である。従って、アメリカ人をはじめ日系人以外の人種も受け入れなければならない。そこで入所してきたのが50歳近いカップルであった。そのおじさんというのが、宝石商人で、施設内で会社を経営していたのである。「電話とファックスさえあれば、どこでも会社は起こせるよ。」と言った彼の言葉によって、起業精神が目覚めたのである。大企業に勤め、その中で仕事をするのも一つの道であるが、自分の好きな仕事だけをして、どこででも会社を起こせるということを教えてくれたのが、10年前のアメリカ滞在であった。

アメリカのIBMの人たちに聞いてみると、理想的な職業像としては、42歳頃までに早期退職をして、自分で好きな会社をやりながら、好きなことをして暮らすというのである。そこで、何も60歳まで会社にしがみついている必要はないんだと感じ、とても気が楽になった記憶がある。このようなこともあって、40歳になったら会社を起こそうと以前から考えていた。

順調にスタートしたビジネス

現在、SOHOを始めて1ヶ月半だが、意外なくらい仕事が舞い込んできている。つい先日も、JEIDAから依頼で展示会のアクセシビリティをチェックするという仕事があった。そこで、インターネット上で募集をかけ、様々な年齢、様々な障害をもった方々にモニタになって頂いた。肢体不自由、電動車椅子、普通の車椅子、歩行困難な方、年齢は73歳を最高齢にし、男女の比率も等しくし、展示会場に集まって頂いた。そして、実際に展示開場を見て回る際に、どういった点が問題で、どこをどのように改良すればよいのか指摘してもらった。今後、高齢者が増えてくると、様々な場面で、例えば車椅子などを利用した高齢者も増加する。このように、21世紀に到来する高齢化社会のなかで、ユニバーサル・サービスというものを、今後どのように提供すべきかということを考える時期にきている。これについては、マスコミを通じて多方面に発信していく予定である。

現在の受託プロジェクトは以下のとおりである(98年11月現在 : 検討中を含む)。

  1. 電子協(JEIDA)からのComJapanアクセシビリティ調査レポート
  2. A社 : Web上での全国アクセシビリティマップ
  3. B社 : 障害者SOHOの実施と可能性調査
  4. C社 : 高齢者・知的障害者通所施設におけるパソコン利用の可能性調査
  5. 科技庁 ユニバーサルデザインの考え方の普及ビデオ作成
    25のプロジェクト: 厚生省/通産省/建設省/労働省などの共同プロジェクト
    ユニバーサル・デザインというものの認知度を高めていくことを目的としている。世間一般の方々に分かり易く説明するための普及促進のビデオを作成する。
  6. 非常勤講師 (大分医科大学、東京工芸大学女子短大、岡山の川崎福祉医療大学、金沢大学)
  7. 日経新聞社 バリアフリーガイドブックの企画・巻頭特集の執筆
    去年は建設がテーマであったが、今年は情報がテーマとなっている。この本の企画と、巻頭特集の執筆を担当。
  8. 神奈川県民活動サポートセンター NPOサポート情報アドバイザー
    (郵政省情報バリアフリー委員会,通産省情報処理機器アクセシビリティ委員会は継続)
  9. 講演など
    11月22日 江東区パソコンボランティア発足式 基調講演
    11月29日 神奈川インターパブリッシング協会 シンポジウム パネラー
    12月17日 毎日新聞社 情報バリアフリーと21世紀 シンポジウム パネラー

バリアフリー

障害とは、本人の能力の問題ではなく、環境が作っているという考え方がある。例えば、健常者であっても眼鏡をかけていないと障害者になる。しかし、眼鏡をかけるとバリアが消えて、字が読めたり書けたりする。つまり、環境によって阻害されている要因を外すということがバリアフリーである。

ユニバーサル・デザイン

ユニバーサル・サービスとは、郵政省では、あまねく公平に誰もが使えるサービスを指す。身近なところにあり、かつ、どんな人でも利用できるサービスである。この点では、郵便局だけではなく、放送や新聞もユニバーサル・サービスに含まれる。例えば、デパートで自分の好きなものが買えるのも、ユニバーサル・サービスである。車椅子の人でも見て回ることができ、かつ、商品にタッチすることができる。この部分は、ユニバーサル・アクセスとも言われる。

このようなユニバーサル・サービスやユニバーサル・アクセスを含め、世の中の仕組みそのものを、最初から高齢者や障害者を含め全ての人が、可能な限り一つのもので、サービスやアクセスを享受できるようにする設計手法のことを、ユニバーサル・デザインと呼ぶ。

世の中の仕組みのユニバーサル・デザイン化

JRの駅には、エスカルというものが併設されている階段がいくつかある。車椅子用の特殊な器械で、リフトのようなものである。これは、バリアフリーではあるが、ユニバーサル・デザインではない。なぜなら、ベビーカーや足腰の弱い高齢者は利用できない。この点からすると、駅で一番優れたデザインのものは、エレベータである。エレベータであれば、ベビーカーであれ、たまたま今日足を折ってしまった人であれ、海外から帰ってきた大きなトランクを持った人であれ、構内のキオスクに新聞を運ぶ人であれ、誰でもが利用することができる。このようなものを世の中に配置していこうというのが、ユニバーサル・デザインである。障害者専用となってしまうと、他の人にとって使いにくいものになってしまうのである。お腹の大きな妊婦さんでも、できれば使いたいのに、障害者専用と書いてあると、なかなか使いづらい。健常者でさえ、年をとってくると通勤に疲れてくる。例えば、昇りのエスカレータしかなくて、降りのエスカレータがない場合、妊婦さんにとって、降りの方がはるかに恐いのである。

現在、社会の仕組みそのものが、残念ながらユニバーサルになっていないのが一番の問題点である。今後は、道路政策をはじめ国の政策すべてが、ユニバーサル・デザインになっていく。そこで、科技庁を含め建設省などが、一生懸命ユニバーサル・デザイン化を進めているところである。

ただし、情報の分野は若干異なる。今後、高齢化社会と高度情報化社会が到来するといわれている。そのようななかで、私はIBMで、障害者向けの製品開発に6年間携わってきたのだが、企業の社会貢献や、特殊な製品を作っているという立場だけでは、絶対うまくいかないということが分かってきた。いってみれば、これまでの私の仕事は、エスカルのような、障害者向けの特殊なものだけを作ってきたといえる。あまりにも市場が狭すぎて、逆に他の人も含めてみんなが使えるものではなかった。今後、情報のユニバーサル・デザインを進めていかないと、お年寄りが使いたいと思っても、ものすごく苦労するということがはっきりしてきたので、どうすれば全ての人が、労せずにパソコンやインターネットを使えるようになるのかということを、他の省庁やメーカと一緒に考えてみたいなと思い始め、このような仕事を始めたわけである。

高齢者や障害者を、福祉という概念ではなく、巨大市場として捉える

先日、73歳の元気なお婆さんに出会った。ある生命保険会社の現役の生保レディである。私としては、高齢化社会の見本をみているようで、非常にうれしかった。彼女は、あと5年は続けられると思っていたが、来年あたり会社を辞めなければならないと感じ始めていた。生保レディは皆ノートパソコンを持たされ、モバイルで仕事するようになった。しかし、彼女にとってノートパソコンは小さすぎて使えないのであった。高齢化社会にあって、お年寄りがばりばり仕事ができる環境、自分がこれまで培ってきたノウハウをできるだけ後世に伝えていける環境にしていきたいと考えているが、パソコンが使えない、あるいは、使いにくいといった理由で、高齢者のノウハウや障害者のノウハウといったものを世の中に使えることができような製品群を出しているコンピュータ・メーカに疑問を感じている。これは、国の政策に逆行している気がしていた。従って、IBMも辞めたので、私としては、コンピュータ・メーカに対して、もっとパソコンを易しくして、高齢者に使いやすいものにして下さいと提言していく立場に立つことができたので非常にうれしい。まずこれから実行していきたい。

そして、実際に、それが、社会貢献とか福祉とかいう概念ではなくて、高齢者2,400万人の非常に大きなマーケットを、きちんとアドレスし、サービス業も含めて、巨大な市場としてとらえるような仕事をしていきたいと考えている。

個人の意識の中では、高齢者とは、実年齢プラス10歳の人たちを意味する。10歳上の人が使い易いものは何なのかということを全員が考えるようになれば、世の中は変わってくると思う。私としては、こうしたスタンスで仕事を進めていきたいと思っている。

情報のバリアフリーおよび情報のユニバーサル・デザインということを今後進めていこうということで、様々なシンポジウムや講演などの活動を行っている。


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