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3月12日 ボストン WGBH NCAM

米国の放送局WGBHのNCAM(National Center of Accessible Media)のLarry Goldbergを訪問する。彼とは長いつきあいだ。もうかれこれ、5年くらいになる。放送番組をアクセシブルにするためにClosed Captionをつけることに長年の努力をし、かつWebの中でのビデオクリップをアクセシブルにする研究も行っている。今回、初めてWGBHを訪れることができた。ここはテレビ・ラジオの放送局であり、TV本体も作っており、かつClosed Captionの1大センターであり、かつLarryのように最新技術のエンジニアも擁している。ここで私は、キャプションつきの最新Webを見せてもらい、SMILとSAMIのデモを見、かつアクセシブルなCD-ROMのプロジェクトを体験し、また現実にキャプションを入力しているキャプショニングセンターを見学させてもらった。

Web Accessプロジェクト. NII公的アクセス賞の賞状

おそらくここは、情報をユニバーサルにデザインするという点で、最も進んだ感覚をもっている。デジタル技術が情報をいかにマルチに流せるかを知り抜いている、数少ない研究センターの一つだ。テレビや映画などの映像を、人類の文化遺産として残すとき、それは聞こえない人にも見えない人にもきちんと情報が行き渡るようにデザインされるべきだ。

Larryは全米のTVにキャプションデコーダーをつける運動をしたひとリである。TVセットがたった数百ドルなのに、ほんのわずかの台数にしかデコーダーをつけなかったら1台あたりのコストは100ドルにもなる。しかし、もし全部につければ1台あたりのコストはたった1ドルにもならない。この説得が功を奏して、全米のテレビにはデコーダーが普及した。キャプションつきの放送も、WGBHや大きなテレビ局では7割にも達している。地方の小さなCATVではつけていないところもあるそうだが、全体的にはつける方向であるという。キャプションを流すことによって、聴覚障害者はもちろん、高齢者、ESL、子供、それから騒がしいSportBarなどでTVを見る人々は、多大な恩恵を受けている。(英語が母国語でない人)おもしろかったのは、ドラマを見ている最中に電話がかかってきたとき、キャプションに切りかえて筋を追うという米国人も多いという話だ。

しかし、Larryは言う。放送のキャプションは法制化されているが、Webには何の規制もない。これからオンラインやデジタルでさまざまな映像を文化遺産として残す際に、キャプションをつけることを義務化しないと、後から映像へのインデックスをつけたりする際に多くの労力が必要になるのだ。

SMILはW3Cが作っているマルチメディアを扱うhtmlのインターフェースで、Larryたちは主にこれで映像に聴覚障害者用キャプションを入れたり、視覚障害者用音声説明(Audio Description)を追加したりしている。SAMIは、ほとんど同じ機能を、Microsoftが開発したものだ。放送とWebの融合を狙うMicrosoftがW3Cの管理下におかれることを嫌って独自に開発したと、一般的には信じられている。たしかに、見た目もできることもそっくりだ。なんで2つあるのかよくわからない。これによるデモ、またエンカルタ99のアクセシブルバージョンデモ(キャプションと音声説明付き)をエンジニアのマドレーヌに見せてもらう。なかなかよくできている。Webの中の映像は、手入力ではあるがキャプションをつけてなんとかアクセシブルにできる。これがあると、英語の聞き取りにくい私もまた助かる。

また、視覚障害者をもつ開発者のトムがやってきて、彼がかかわっているCD-ROMをアクセシブルにする例を見せてもらった。彼は算数のゲーム用CD-ROMを、音声フィードバック付きにし、かつマウスではなく、主にタブキーだけで操作できるようにしている。(名前の入力などにはフルキーが必要)。これは非常に面白く、かつわかりやすかった。高齢者、パソコン初心者にも、音声で案内されながら進むやり方は、受けるはずである。オフィスで周囲がいるところでPCを使っている人にはなかなか理解されないが、一人で家で使っている場合、音声ガイドは結構ユーザーフレンドリーなのだ。特に初心者には。

Web上の映像に字幕をつける

その後、キャプションセンターを見学させてもらった。まだ、音声認識は使われていない。映像でしゃべっていることを完全に入力する人、それを正しい位置と合わせる人、微妙なタイミングに修正する人、単語が正しいかを膨大な辞書を引いて確認する人、辞書や人名をDBに登録する人.....さまざまな人々が、熱心に働いている。

WGBHの食堂でiMacをデモしていた. 手前はLarry

昼食後、Larryと今後の動向について話した。米国では統合教育が進んだため、聴覚や視覚の障害児が普通学校に通うのが一般的になってきている。これは非常にいいことなのだが、教材に関して教師があまり注意を払う環境にないため、情報が欠落したままで放置される場合も多いという。キャプションのついたビデオを見せることも少ない。政府はATAのような法律や制度を整備はしてきているが、まだ末端まで支援技術やその使い方について情報が行き渡っているとはいえないという話であった。しかし、日本のようにセパレーションが行き渡っていると、逆に学校にいる間は完全な情報を得られるが、実社会に直面すると何の保証もないという状態である。どっちがいいかは、何ともいえない。

法律の整備はこれからも進むし、技術の進歩もあるので、今後はもっとアクセシブルになっていくだろうと、彼は楽観的な見方をしている。UDを進めるのは、法律や団体による圧力だけではなく、市場原理によるのではないかと聞くと、支援技術を付加することによる「利益とコスト」の関係をカウントするのは大変だという返事であった。たしかに、これをつけたことによる利益を計算するのは難しい。だが、大量消費、大量生産から、個別のニーズを満たすものへと産業が変化していく中で、顧客満足を満たすものへと、情報産業も変化していくだろうという結論になった。

しかし、数年前に○○会社のどこかの部隊がやってきて、Larryのやっていることを一切合切もっていったそうだが、それ以来、音沙汰なしだという。(これだから日本人は嫌われるのだ)日本ではキャプション付きの番組はまだ3%、それもNHKなどに限られる。聴覚障害者を主人公にしたドラマに字幕がないので、パソコン通信上でボランティアがナレーションを同時に送るサービスを行ったが、テレビ局から著作権侵害と抗議されとりやめた事件は記憶に新しい。情報をあらゆる人に平等に渡すという感覚そのものが、日本では欠落している感がある。

NCAMは、政府やさまざまな団体からの寄付によって運営されている。もちろん全員がWGBHの正規の職員ではあるが、ファンドは多くを企業に依存しているようであった。かつてはAppleとの関係が深かったので、Appleが障害者セクションを廃止したのが響いているようだった。これはここだけに限らないのかもしれない。企業の社会貢献費用によってしか存続しえないという状態は、けして安定的なものではない。なかなか難しいところである。日本の場合、社会貢献はNPOにお金を積むこともまだ難しいので、自社内での開発に投資している部分もあるが、やはり、メインストリームの製品をUDにしていかないかぎり、お荷物のような感じになるのは否定できない。