Home » レポート » ツアーレポート » UK & US ユニバーサルデザイン紀行 » 3月13日 (その2) サンフランシスコへ

3月13日 (その2) サンフランシスコへ

伊藤さんはおひげをはやしていた

空港でリコーの岡本さんと落ち合って、スタンフォードへ行く。神奈川リハの伊藤英一さんが1年を過ごしたCSLIを訪ねるためだ。場所を思い出せなくて何度も電話をした。結構、人間の記憶ってあやふやなものだ。伊藤氏はひげをはやしていて、なんだか別人のように「研究者」然としていた。思い出せば2年前、スタンフォードが主催したWWWコンファレンスに一緒に行ってから、お互いの人生は変わっちゃったんだと、今更のように思う。好きなことをやっているのだから、文句は言えない。でも、生活は大変だね、と笑った。Sun Microsystemの茂森氏がやってきていて、みんなでタイ料理を食べに行った。彼は独力でSunに入社したソフトウェアプログラマーである。家にもお邪魔したが、きれいに片付いていて、最新鋭のPC3台、たくさんのコンピューターの本に囲まれ、まさにエンジニアの家だった。日本に帰ってきたくないというのも、なんだかわかる。きっと彼が日本を出た10年前には彼のような重度のCPを雇用するところは少なかったろうし、受け入れる体制をつくるところからはじめなければならなかっただろう。彼も、アメリカに最初から受け入れられたわけではない。英語の学校を皮切りに、数多くの冷たい反応にあいながら、それを一つクリアしている。時間はかかっても、なんとか受け入れてくれるまで、周囲を変えるだけのパワーを持ちつづけてここまできた。しかし、同じ努力を、なぜ日本ではやらなかったのか、いや、できなかったのか、ちょっと考えてしまう。

茂森氏(中央).  リコーの岡本氏

彼は数学や科学を専攻したくて日本の数多くの大学に当たったが、受け入れてくれるところがなく、やむなく単身で渡米したのである。渡米当時は英語の問題もあり、苦労したものと思われる。しかし英語学校の入学許可願いを根気よく続け、英語をマスターし、米国の大学でコンピューターサイエンスを学び、サンマイクロシステムスに2年間アルバイトとして勤務、その後、実力を認められてワーキングビザを支給され、正社員になるに至った。実力があれば、それを発揮することを当然として受け入れてくれる社会と、そうでない社会の違いは、どこから来るのだろうか?

高等教育における障害学生受け入れプログラムは、英国や米国では「教育のユニバーサルデザイン」として重要な位置をしめている。米国ではDOITという障害を持つ高校生の進学支援プログラム、EASIという大学での情報教育のアクセシビリティ確保プログラムなどがあり、英国でもDIS in HE(高等教育における障害者)というプログラムがある。日本ではまだ文部省にその専門家も存在せず、各大学の教授の個人的なボランタリーワークによって細々と受け入れられているにすぎない。日本においては、理系への進学そのものが願書の段階で断られることも多く、優秀な障害者が海外へ流出する一因となっている。障害者の意見をより多く産業界に伝えるためにも、障害をもつ学生の大学受け入れプログラムおよび企業における障害者を持つデザイナーやエンジニア育成の重要性を再認識した。