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秋の悲しみ — システムとひとの望ましい関係

数年ぶりに電車の中で気分が悪くなった。朝のラッシュ時、満員の半蔵門線で乗客が線路に落ちて10分ほど遅れたのだ。盛岡行きの新幹線には12分しか乗り換え時間をとっていない。遅れそうだという不安と、超満員の車内の人いきれに、気が遠くなっていく。携帯から予約を変更しようとして気がついた。オンラインで予約していないと変更が効かないのだ。

スムーズに行かない予約変更

立っていることができなくなって、混んでいるにもかかわらず座り込んでしまった。奈落の底へ落ちていくような気分だ。このくらいで人生に絶望してどうするんだ、と自分に言い聞かせる。ずっと前、過労とストレスでこんなふうにして過換気症候群を起こして救急車で運ばれたことを思い出し、できるだけ呼吸を減らすよう気をつける。渋谷を過ぎたあたりで、席を譲っていただいたがお礼をいう気力も消えかけていた。 

 やっとの思いで東京駅にたどり着く。がんばって走ったのだがタッチの差で私が乗るはずだった新幹線は出ていた。私が疲れていそうだからと、社員がせっかくグリーン車の席を準備してくれていたのに、無駄になってしまった。仕方なく窓口へ行く。「いちばん早く盛岡へ着く次の列車に変えてください」。窓口の女性は「満席です。9:24分発のグリーンで喫煙席だけです」と無愛想に告げる。「9140円です。12時53分着です」。予定より1時間半も遅れてしまううえに、特急券もグリーン券も買いなおしになってしまうのか。 

 ふらふらしながらホームへ上がる。きっとこんな私のような状況の人が、ホームから線路へ転落したのだろう。落ちて亡くなるのは視覚障害者だけではないのだ。しかし気づくとホームにいる9:20発の新幹線の自由席ががらがらだ。そばにあった時刻表を見ると、この列車の方が50分も先に盛岡へ着くではないか。これに乗ることを決める。

老車掌のサービス

自由席に荷物を置いて、さっき買った24分発のグリーン券を見る。無駄なことをしてしまった。自由席でいけるんだったら、最初からそうしたのに……。乗り遅れた分も含めると、1万3000円も無駄に支払ったことになる。盛岡まで片道3万円近くかけてしまった。猛烈に頭が痛む。車掌さんが通りかかった。だめもとで聞いてみる。「あの、最初のに乗り遅れたので別のを買ったのですが、この列車が早そうなのでこれに乗ってしまったんです。せめて指定席に乗せていただけないでしょうか?」 

 かなり年配のその車掌さんは、私の、無駄になった2枚のグリーン券を見て、実に申し訳なさそうな顔をした。「おやまあ、お客さん、もったいねえことしますたですねえ、わたすにいってくだすったら、変えてさしあげたですに」。東北なまりの優しそうなものいいに、私は涙ぐみそうになった。 

 座席指定端末で検索する。「9号車の12Aが空いてますので、お使いください」。窓口では満席だと言われたグリーン車は、なぜかかなり空いていた。私は2席も占有して、盛岡まで行けることになった。

顧客満足は「こころ」から

仙台を過ぎると、紅葉が目立つようになる。空の青が目に染みる。「万里悲秋 常に客となり……」杜甫の詩が浮かぶ。2カ月近く、ほとんど土日なしで働き続けてきた私が悪い。東京駅でたった12分しか乗り換え時間を予定していなかったのも悪い。あの窓口のお姉さんだって、別に二重取りしようとしたわけではないはずだ。彼女の得になるわけでもないのだし。落ち着いて考えればなんでもないことも、ささいな行き違いから、こころにほころびが生じることもあるだろう。 

 あの年配の車掌さんが、目礼して通っていく。後ろから手を合わせたくなる。東北新幹線は自動改札を通過した時点で座席データを送信する仕組みになっている。だが、実際に乗ったかどうかは見なければ確認できないし、自由席が空いているかも、窓口でわからないのは無理もない。車内の車掌さんが、最後は、座席を目で見たうえで、疲れていそうなひと、悲しそうなひとへ、座席を割り振ってくれるのだ。 

 どんなにユビキタスが進んでも、それを運用するのは人間であり、この車掌さんのようなこころのこもったサービスが付いてこそ、顧客を満足させることができるのだと思う。願わくは、車掌さんの使う端末が、より使いやすく、ユニバーサルデザインのものとなり、経験や気配りを生かせるものであってほしい。紅葉を見ながら、システムとひとの望ましい関係を思い返していた。東北の美しい秋であった。

- 2003年10月23日 「NIKKEI NET」ITニュース面コラム「ネット時評」 -

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