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情報通信技術がひとにできること

  1. あるネットワーカーの人生
  2. パソコンやインターネットができること
  3. ユニバーサルデザインとは何か
  4. OTはこれからの情報化社会にどう対処すべきか

あるネットワーカーの人生

人の間と書いて「にんげん」と読む。ヒトは、誰かとコミュニケーションをとることで、初めて「人間」になる。事故や加齢などで、重い障害をもつ人々に、コミュニケーションを確保すること。それは、残念ながら、これまで医療や福祉の現場では、あまり重要視されてこなかったのではないだろうか?

障害を持つ人や、高齢者こそ、情報化社会のメリットを、一番、享受できる層なのかもしれない。全盲の人がインターネットで新聞を読めるようになり、通勤困難な肢体不自由者が在宅で仕事をし、聴覚障害者のコミュニケーションを円滑化する。高齢者が遠くに住む孫たちと交流し、自分の生き方を情報として残すこともできる。

ある国立病院に、重い筋ジストロフィーの患者がいた。彼は6歳で発病して以来、ずっと入院生活を送っていた。天井を見るだけの生活の中で、ある日彼は、パソコンに出会う。最初は、自分の意見をまとめるためのワープロとして使い始めた。それがネットワークに接続され、彼の世界は次第に広がっていった。各地の人とメールで話し合うようになる。意見を交換する。友達ができる。彼の人柄を慕って、多くの人が病院に集うようになっていった。

その病気は、普通20歳ごろまでしか生きられない。でも彼は30過ぎても活発に動いた。病気は重くなっていったが、精神はどんどん高揚していくのだった。わずかに動く指先でインターネットのホームページを作成し、自分の意見を広く社会に問いかけるようになる。それを見たさまざまな人からメールが届き、友人の輪は広がっていく。インターネットを通じて知り合った女性と結婚もした。幸福の絶頂で、彼はこの世を去っていった。35歳だった。

彼の人生は、充実していたように見える。人と話し、人の意見を聞き、彼自身の考えを伝えることができたからだ。彼は充分に「人間」を生きたのである。パソコンとネットワークに出会わなければ、彼の人生は全く違ったものになっていただろう。彼の意思は、周囲に残された。同じ病棟の入院患者たちは、パソコンで絵を書き、詩を作るようになった。自分を顕わすこと、他者とかかわることを、積極的に行なうようになったのだ。

パソコンやインターネットができること

パソコンは、いろいろな使い方ができる。さまざまな障害者支援技術を追加して使いこなしている障害者も増えてきた。視覚障害者は、パソコンの合成音声で画面の内容を聞くことができるし、弱視や高齢の方は画面を拡大したり色を変えたりして画面を読むことができる。聴覚障害者はメールの普及で学校や会社でコミュニケーションをとるのが楽になった。肢体不自由の方は、キーボードの入力に工夫したり、市販のスイッチを組み合わせて使うことで、在宅での就労も可能になってきている。ワープロとして自分の意見をまとめたり、人に手紙を書ける。もうラブレターを、代筆してもらう必要はない。切手も貼らず、郵便局にいかなくても、書いた手紙を、相手にそのまま送るのがメールだ。気候のあいさつなど気にしないで、気軽に会話のキャッチボールができる。同じ話題に興味を持つ人が何人か集まったら、メーリングリストが便利だ。1回メールを送れば全員に届くので、同窓会組織などでよく使われている。同じ障害をもつ人々や、障害児を抱えて働くお母さんの連絡網としても有効である。

自分たちの活動や、考え、持っている情報を公開する場所、それがWWW(ワールドワイドウェブ)である。インターネットというと、このWWWを指すことも多い。新聞や雑誌もこの方法で発信されているし、企業の製品紹介や自治体の施策もこれでほとんどが読めるようになってきた。 今では、さまざまなリハビリテーションや障害に関する情報が、インターネットの中に満載されている。かつては入手しにくかった論文も検索できるし、離島にいても専門書の購入などがネットを通じて可能である。まずOTがパソコンやインターネットを使いこなしてみて、その便利さを実感していただきたい。価格や使い勝手といった問題はまだあるが、長所短所を理解したうえで、それを高齢者や障害者に勧めてほしい。家にこもってしまうのでは、とか二次障害を心配する向きもあるが、インターネットは、電話に近いコミュニケーションツールなのだ。話す相手が増えてくれば、会いたい人も出てくるし、情報が入ってくれば、行きたい場所やお店も増える。ネットに参加してから、それまで家に引きこもっていたのに、ずっと活動的になったという方は多い。

また、障害者や高齢者がパソコンやインターネットを使う上では、さまざまな支援技術の知識もOTには必要である。このような情報も、今ではインターネットを通じて入手することができる。たとえば、香川大学教育学部 中邑研究室を中心に編纂された「こころリソースブック」は電子化されて、いまでは通産省の管轄の元、電子協のホームページに存在している。
http://www.kokoroweb.org/index.asp
さまざまな、障害を持つネットワーカーたちの自己紹介ページもあり、これから始める人にも参考になる。

 

ユニバーサルデザインとは何か

来世紀の始めには、世界中で、人口の50%が50代以上になる。日本では世界で最も早く、2004年に成人の50%が50代以上になる。軽い重複障害の方が町の中にあふれてくるのだ。もはや、障害者を、特殊な少数の人と見る時代は過ぎた。わたしは、障害者に対する概念としてよく言われる「健常者」という言葉が嫌いである。常に健康な人。そんな人が、本当にこの世に存在するのだろうか?小さな子供の時代はなかったのか?これからずっと、年をとることも、病気もしないつもりなのだろうか?

英語には、この「健常者」という意味の言葉はないという。あまり一般的ではないが、ちょっとした言葉の遊びとしてTemporary Abled Bodyと言っているのを聞いたことがある。「いま、たまたま、健康な人」という意味だ。わたしは、この謙虚な言い方のほうが、日本の「健常者」というちょっと傲慢な言い方よりもずっと好きだ。人間は、その時期によってベビーカーに乗っていたり、けがをしたり、妊娠したり、小さい子供を連れていたり、大きな荷物を持つこともある。誰だって、一時的な障害を、しょっちゅう持っているのだ。そして、確実に年はとる。60をすぎて、洋式トイレのほうが楽になったり、新聞を離して見るようになる。それは不思議なことでもなんでもない。元の姿に戻っただけなのだ。

しかし、われわれが暮らす町や、道具は、この変化についていっているだろうか?OTの仕事の中で、高齢者のリハビリテーションにかかわる方も多いだろう。住宅改造や自助具の作成に携わる中で、まちづくりやものづくりが、もう少しだけ障害者や高齢者に配慮されていたら、と思うことも多いのではないだろうか?家の中では動けても、自由な外出は難しい。一つの自助具だけでは自立した生活は困難だ。道路も、公共交通機関も、道具も、家具も、なにもかもが普通に使えるような状態で、初めて自由に社会参加が可能になるのである。

最初に「健常者」向けに作ったまちやものを、後から障害者・高齢者に使えるように機能を追加するのはコストもかかる。どうせ、作るのなら、障害を持つ人にも成人の50%を超える高年齢者層にも使えるように設計しておけば、だれにとっても使いやすいではないか、。これが「ユニバーサル・デザイン」の考えである。そのために、まちや、ものを作っている人々に、高齢者や障害者の声を届ける仕組みが必要だ。私は、パソコンやインターネットが、その役割の一部を果たせると思っている。まちやものを作っているのは、20代30代の若い世代であることが多い。都心のオフィスで、同じような人間とだけ接し、高齢者や障害者の生活の状況、いや一般の主婦や子供の生活さえほとんど知らないまま、政策やものを作っていることもある。

高齢者や障害者がインターネットに接続して、自治体の担当者にまちづくりの提言をしたり、企業の製品の使いにくさについて意見を提案することができれば、官庁や企業の意識を変えることができる。「健常者」中心でしかものを考えていなかった、または聞きたくてもルートのなかった人々は、建設的な提言であれば、喜んで受け入れるだろう。その結果、障害者や高齢者に配慮したまちやものは、もっと増えていく。OTが、努力して社会参加を促した結果を、本人は充分に楽しむことができるようになるのだ。

OTはこれからの情報化社会にどう対処すべきか

福祉の仕事の本質は、相手を幸福にすることだと思う。障害が固定し、とりあえずの生活に慣れたとき、その人は幸福だろうか?役割を失って自信を無くしていたり、生きる意味を見出しているだろうか?わくわくするような日常を生きているだろうか?

どんな人にも、「人の間」に生きる権利が存在する。誰にも社会の中に、それぞれの役割がある。その障害をもったことにも、本当は意味が存在するのである。その人が持つ障害の情報は、同じ障害を持ち始めた人やその家族にとっても、まちやものをつくる人にとっても、有効なものなのかもしれない。もし、声がなくなっても、体が自由に動かなくても、伝えたいという思いがあれば、それを支援する態勢があってほしい。コミュニケーションを、もっと大切なものとして、OTの研修カリキュラムに追加していってほしい。そのために、まず、OTの教育体制の中に、情報通信になじむ訓練、すなわち、パソコンやインターネットを使いこなすための訓練時間が必要である。情報通信の基本的な知識、たとえばメールの送受信、インターネットでの情報検索、障害者支援ソフトなどは、21世紀のOT像には不可欠のものである。

また、障害を持つ人に、使える情報機器と、その支援技術を処方する態勢も必要だ。訪問看護ステーションやリハセンターで、パソコン教室や相談ができる体制を引くところも、少しずつ増えてきている。またOTは、多忙な環境下で、機材も技術習得の機会も少ないという嘆きを聞く。そのためにも各地のパソコン・ボランティアの組織と連絡をとる必要がある。これはパソコンが少しわかる会社員や主婦、学生などが地域の障害者・高齢者のパソコン利用を支援する組織だ。自治体などの支援のもと、各地に少しずつ育ちつつある。

海外の福祉機器展や学会に行くと、会場を埋め尽くす電動車椅子と盲導犬に圧倒される。発表者も、機器の説明員も、研究開発者も、みんな当事者ということも多い。障害を持つ人が、最も情報を持っている。彼らは、高齢化社会のナビゲーターなのかもしれない。

来世紀は、間違い無く高齢化社会であり、高度情報化社会である。数多くの情報、図書も映像も音声も、家で入手することができる時代だ。仕事さえ,家でほとんどができるだろう。現にわたしは、インターネットで仕事をするようになってから、都心の企業をやめ、自宅で会社を設立した。もう片道1時間半以上もかけて、通勤する必要はなくなった。今ではネットワークを介在させて、快適に家で仕事をし、またさまざまな障害を持つ方に在宅で仕事をお願いしている。インターネットでつながっていれば、障害も場所も年齢も性別も学歴も関係がない。評価されるのは仕事に対する真摯な態度だけである。障害をもつOTが、ネット上で地域の障害をもつ方の相談にのる。そんな日も近いかもしれない。

情報通信の進歩がもたらす成果は、高齢者や障害者を含むすべてのひとが享受すべきだ。一部の人だけが利益を得るために、科学は存在するのではない。そして医学や人間工学、情報通信といった科学技術の成果を障害者や高齢者の生活に活かすことができるのは、OTの仕事であると、私は思っている。

- 作業療法 機関誌 寄稿文 1999年5月より -

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