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本当はパソコンって使いにくくないですか?

  1. トトロから見た現代
  2. SOHO企業として生きる
  3. 高齢者は重要なお客さま
  4. パソコンは、まだ本当は難しい!
  5. なぜ無い「パソコンの処方箋」
  6. インターネットをもっと使いやすく
  7. ユニバーサルデザインは誰のため?

1. トトロから見た現代

「となりのトトロ」のビデオを見ていて、気がついたことがある。約30年前、各家庭には、電話もテレビも少なかった。公共交通機関はバス。自家用車はまだ特別な乗り物だった。道路は舗装されていず、雨が降ると大変だった。

あれからほんのわずかしか時は流れていないのに、私たちを取り巻く社会インフラは,めまぐるしく変化している。テレビは各部屋一台、電話さえ各人一機もめずらしくない。携帯電話や自動車を持つことはもうステータスではなくなっている。

同じ感慨を、会社をやめたときに持った。入社した頃に書いた、膨大なワープロレターのフロッピーが出てきたのだ。今ではメールで簡単に送ってしまうレターを、10数年前の私が熱心に添削した後が残っている。もし、パソコンがなかったら、もし、メールが使えなかったら、もし、WWWが存在しなかったら???今では想像することさえできない。テレビや自動車のない社会が想像できないのと同様、通信インフラは、すでにわれわれの仕事の中核をなしている。

わたしが会社をやめた理由の一つに、通勤時間の問題があった。毎日往復3時間以上の満員電車が、だんだん苦痛になってきたのだ。この通勤に耐えられる屈強な人間しかいない都心のオフィスで、いったい日本全体のユーザーを理解できるのか?高齢者や妊産婦、子供のニーズを汲み取れるのだろうか?ネットワークにつながれば、かならずしも会社に毎日通勤する必要はないはずなのに。通信インフラさえ整備されていれば。毎日、電車に乗るたびにそう思うようになった。

2. SOHO企業として生きる

その頃、わたしの住む地区でケーブルテレビのインターネット接続が可能になったのである。つないでみると、これが速い。社内LANより快適な14.3Mbpsの常時接続で、ソフトをダウンロードしてもあっという間だ。変にセキュリティをかけて、さまざまな機能を限っている社内環境より、ずっとインターネットを使いこなすことができる。家で起業する決心はこのときについた。米国でよく言われる‘Power House’を実践してみよう。SOHOのままでどこまでやれるのか、インターネットの中で可能性を試してみよう。そう思った。いまは、2人の正社員と約40名の登録スタッフをネットで結んで仕事をしている。3分の1は障害を持っている。ホームページ作成と企業へのコンサルティングが主な仕事である。

残念ながら日本では、わたしのような恵まれた通信インフラを享受している層はそれほど多くない。遅い電話回線にいらいらしながら、WWWの画面が少しずつ表示されるのをじっと待っていたり、高い電話代に悲鳴を上げる人のほうがはるかに多い。月々たった3220円で24時間使い放題という環境は、なかなか日本では存在していない。しかし、米国ではこれは決して特別な環境ではない。市内通話は限りなく安いため、ネット接続はお金持ちのものではない。個々の家庭に高速の通信インフラが普及し、家でも会社と同じかそれ以上の通信インフラが整っていれば、大雪になってもちゃんと仕事ができるのだ。

もし、高速の通信インフラと、使いやすいパソコンが普及したら、社会はどう変わるだろう?テレビや電話のように、自動車のように一家に一台、いや一人に一台、確実なインターネット端末があれば、企業や大学のあり方も変わってくるはずだ。

3.高齢者は重要なお客さま

高齢少子化が進んでいる。高等教育は、市民全体を学生とみなさなければ、生き残ってはゆけない。もとより自分の再教育に熱心な熟年層を、とりこぼすのはもったいない。遠隔教育が在宅の主婦・高齢者などにも広がれば、当然、在宅の障害者も恩恵を受ける。地域や時間のバリアフリーは、障害のバリアも消す。実際、弊社の社員には在宅の重度障害者が多い。仕事ができれば、場所も障害も年齢も、デメリットではなくなる。

企業も、通勤範囲の人間だけを社員としなくてよくなる。どこに住んでいてもかまわない。そんな時代が来るかもしれない。高齢化社会になって、人間は福祉サービスの良し悪しで住む場所を決めるようになったと言われる。同様に、通信インフラの整備が、今後,そのまちの発展を決定する要因になる時代が、もうそこまで来ている。

2015年には65歳以上が25%、と聞いても無関心な層も、2005年には日本の成人人口の50%が50代以上、と聞くと驚く。若年層は減り、これから市場は巨大な熟年層をターゲットにせざるを得ない。家電業界や建築界でもこの問題はホットな話題となってきている。たしかに大ヒット商品、として持ち上げられるのは、子供や若者にウケた小物ばかりが目立っているが、中高年は車や家を買うのである。単価や可処分所得は比較にならない。その層がどんどん高齢化しているのにもかかわらず、企業のデザイナーには35歳定年説がまかり通っている。そして、都内の洒落たオフィスで似たような背景を持つ同僚とともに、自分たちの感性だけでものをデザインしている。若い人の感性を活かすことは決して悪いことではない。しかし、買う層には必ずしもウケていないのである。平日昼間の郊外デパートへ行くと、高齢者や子供連れの主婦層が目立つ。都心のオフィス街と全く歩く速度が違う。階段でベビーカーの上げ下ろしに苦労しながら、手すりを伝って下りの階段をゆっくり歩きながら、生きている人々の声を聞くと、まちやものに対する、根強い不満やあきらめがわかってくる。いつから、まちづくりやものづくりは、使う人から遠いところで行なわれるようになったのだろう?

情報産業も例外ではない。なぜ、情報産業は、社会のインフラを謳いながら、健康な若者のことしか考えない製品を生み出してしまうのだろう?まだ使えない人間がたくさんいる。おいついていけない人々が、地方や年代で顕著になってきている。情報を入手できないことで、不利益を蒙る層がどんどん増えている。社会の公器としての自覚はあるのだろうか?

4. パソコンは、まだ本当は難しい!

中高年にとって、情報機器は「使ってみたいもの」の筆頭にあり、「まだ持っていないもの」の筆頭にも上がるのだ。これは、潜在受容がきわめて大きいことをあらわしている。Windows95の騒ぎのときに釣られて買ったはいいが、それっきりになって恐怖症になった人は多い。わたしはあらゆる講演会で、「パソコンって本当に易しいと思っています?」と質問するが、医師会の会合でさえ手を挙げる人は少ない。ユーザーのほとんどすべてが、「なんか難しいなあ」と思いながら、だましだまし使っているような製品を、パソコン以外、わたしは知らない。今回も、書いている最中に一回固まった。数時間の仕事がパーになった。これは本当に、本人の責任なのだろうか?だからといって、いったい誰に訴えればいいのか?パソコンメーカーか、某OSメーカーか?

メーカーも問題がわかっていないわけではない。しかし、どう手をつけたらいいかがわからないのだ。加熱するスペック競争、徹夜の連続で守る納期、バグを見つけても修正する時間はない。とても、ユーザーの不満などにつきあっているひまはない。

かくして、メーカーとユーザーの確執は深まる。使えない製品を売るなといいたいのに、社会インフラとして普及したがために、使わざるを得ない。しかし、ユーザーには、今や(遅くはあるが)インターネットがある。メーカーにクレームをつけることは可能だ。

どうしておたくのパソコンはこんなに使いにくいのか?なぜこんなとこで死ぬんだ?(IBM社員だった時代にも、何度も言ったせりふである)

何のためにパソコンを使うようになるか?メールでメーカーにクレームをつけるためだ。なんとかそこまでは意地でもクリアしてほしい。そして、初心者ユーザーの大合唱が、いつかメーカーを動かす。

5. なぜ無い「パソコンの処方箋」

世の中にはごまんと薬があるが、誰もそれで毎日死んだりはしない。薬局や医師が、ちゃんと自分に合った処方をしてくれる。それにしたがっていればまずは安心だ。パソコンだって、本当は自分に使いやすい「処方」があるはずだ。これくらいの字の大きさ、これくらいの入力スピード、これくらいのアプリケーション、etc.

なぜ、世の中には、「パソコンの処方箋」がないのだろう?実は使い勝手を自分に合わせて変更できることは知られていない。Windowsにはユーザー補助という車椅子マークのユーティリティがあって、片手で使うユーザーのためにシフトキーをロックしたり、入力速度を調整したりする機能があるのだが、MSの厚いマニュアルのどこにも指定の仕方は書いていない。リハビリテーションエンジニアや養護学校の先生が、これをユーザーに合わせて指定するのは至難の業だ。また、この子は視力も弱いので画面サイズを変更したい、と思っても、その設定はユーザー補助とは違う機能を呼び出さないといけない。ホームページには情報があるにはあるが、文字ばかり英語ばかりのページで、最後まで読む気力を維持するのが大変である。

このような規格は、通産省アクセシビリティ指針として公布はされている。しかしソフトウェアの設計者や、販売店の店員が知らなかったら、全く活かされないだろう。Microsoftは米国ではそれなりにがんばっており、シニア向けに専門のアクセシビリティ研究センターを開設するなど熱心なのだが、日本では使えない機能も多く、本腰を入れて日本でも開発していただきたい分野である。なお、米国では、リハビリテーション法508条というのがあり、連邦政府や自治体は、アクセシビリティを確保していない情報機器は「買ってはいけない」という政府調達基準がある。日本でも自治体で障害者雇用もしているはずだし、何より高齢化の進む自治体で、端末見るのも見せるのも、みんな高齢者という環境なのに、508条のような法律や行政指針が出ないのは本当に不思議である。

例えば洋服でさえ、自分に合わせたものを選べるのに、どうして、パソコンを自分に使いやすく合わせることができないのだろう?入力や出力も好きなものが自由に選べれば、視覚障害は音声で画面内容を聞けるし、キーボードの替わりに声で入力もできるのに。実は世の中には、このような障害を持った方のパソコン利用を支援する技術、すなわち「支援技術:Assistive Technology(以下ATと略)」は意外に多い。筆者が保守を請け負っている通産省・電子協のサイト「こころWeb http://www.kokoroweb.org/には、このような製品が700件近く掲載されている。高齢者にとって鬼門の「キーボード」は、わかりやすい50音表になっているのもあるし、動かしにくいマウスの替わりに、安定的なトラックボールもある。しかし、残念ながら、一般製品より少し高めだ。これまで障害者・高齢者向け製品は、多く売れるものではないため、メーカーも高めに値付けせざるを得なかった。しかし、これからどんどん数が出れば、市場原理で安くなっていくことが期待できる。年とったら使いたいと、今から狙っているのさえある。

わたしは夢見ている。どこの町の商店街にも、パソコンと支援技術を【処方して】くれるお店があって、出かけて行くと、ちょっと熟年の素敵な店員が
「いらっしゃいませ、今日は何がご入用ですか?」と聞いてくる。
「ええ、ちょっと私に合うパソコンをあつらえてもらいたいんですが」
「はい、わかりました。こちらへお座りください。なるほど、少し視力が落ちていますね。では字の大きさはこのサイズにいたしますので、もし変更なさりたい場合は、『字を大きく』とパソコンに声をかけてやってください。字体はゴシックと明朝のどちらが見やすいですか?は、では明朝太めにいたしましょう。音声入力のために声の状況を測りますね。なにか一言しゃべってください。」
「店員さんはかっこいいですねえ、素敵なロマンスグレーで」
「はい、充分です。ありがとうございます。では次に指の筋力を測りますのでキーボードに手をおいてください。今はあまりキーボードを打つこともありませんけどね。なにか一言、キーから入力してください。」
「今度、デイケアセンターでデートしましょう」
「はい終わりました。そうですね。左手の力があまり強くないようですので、若干、左のキータッチを軽めに設定しましょう。Etc...」

店頭のパソコンに向かってちょっと使うだけで、自分の身体状況をパソコンが瞬時に判断し、5分後には「あつらえた」パソコンが出来あがっている。特殊な入力装置が必要であれば、それもオーダーしてくれる。どうしてこれが今は不可能なのだろう???めがね屋さんや靴屋さんとおなじくらい、パソコンだって「パーソナルな」品物ではないだろうか?

6. インターネットをもっと使いやすく

パソコンはさあ、なんとか使えるようになった。さて、勢いこんで、インターネットにアクセスする。しかし、どこをどう触ったら次の情報へ進むのか、しばらく苦労して探すわかりにくいウェブサイトも結構多い。わたしのようにつなぎっぱなしでいい人はいいが、電話でつないでいる人はほんとにあせるだろう。Webのページも、作っているのは若い人が中心だ。それを昼間読む人が、50代以上だということを、彼らは知らない。かくして読みにくいWebページが横行し、企業や自治体の情報は、受けとる人がいないままになってしまう。

インターネットの世界では、WWWコンソーシアムという標準化組織があり、その部会の一つにWAI(Web Accessibility Initiative)という、アクセシビリティに特化した会がある。ここでは、さまざまな障害者に使いやすいホームページのデザイン方法を、話し合って決めている。米国政府、さまざまな公的機関、メーカー、ユーザーが案を練り、Webで公開し、意見を受けつけ、また練りなおし、といった作業を行なっているのだ。(http://www.w3.org/WAI/

日本国内では、99年5月に郵政省がようやくシンプルなガイドを出したが(http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/pressrelease/japanese/tsusin/000523j501.html) 、これも周知徹底されているとは言い難い。この読者の中に、何人くらいがこの内容を把握しているだろう?音声で聞く人のためにちゃんとグラフィックにはALTをつける。デザインのためにTABLEを使わない、などの規約だ。米国では、連邦政府、自治体、企業などには、アクセシブルなWebデザインを奨励している。最初から画像を見ない超ハイパーなネットワーカーのニーズと、視覚障害者のニーズは一致しているし、片手に電話を持ってキーボードだけでデータを探したいビジネスマンのニーズと、片麻痺の方のニーズは一致しているのだ。米国のガイドラインをすべて守ることはなかなか困難なので、よりシンプルでわかりやすいガイドを弊社ではいくつか作っている。情報発信をする方は、次のページに、ぜひ目を通していただきたい。

http://www.udit.jp/web/guide.html(現在このページはありません)
http://www.kokoroweb.org/tips/part1-1.html(アクセシブルなWebデザインについて)

7.ユニバーサルデザインは誰のため?

わたしはまた「トトロ」のことを思い出す。お父さんは学者さんだった。タイプライターは使っていたっけ?電話はかけていたよね。

グラハム・ベルが電話を発明したのは、聴覚障害の母と妻の会話を支援できないかという思いからだった。タイプライターは、視覚障害者がまっすぐに「墨字」をかけるようにと開発されたものである。電話とタイプライター、これがなかったら、インターネットもパソコンも、こんなに普及はしなかった。20世紀の発展を支えたこれらの発明が、実は障害者のニーズを解決しようとして行なわれたものだと、知る人は少ない。

21世紀、多くのインターフェースが生み出されて行くだろう。音声認識が、最初は頚髄損傷者のワープロとして生み出されたことはご存知だろうか?視線入力も、脳波スイッチも、最初は障害者支援技術として生み出された。それは誰にとっても便利であることがわかり、社会を変える大きな技術となっていくはずである。

何かが欠ける。それを補おうと努力する。必要は発明の母である。われわれは、すべていつか年をとる。だから高齢者はわれわれの先輩である。高齢者は多かれ少なかれ、どこか障害を持つ。だから障害者は、われわれの大先輩である。なにかものを作るときに、最初から高齢者や障害者の利用を考えて設計する「ユニバーサルデザイン」は、誰のためでもない、われわれ自身の将来のために必要なものなのだ。

それは決して、社会福祉や社会貢献活動ではない。膨大な数のマーケットに、どうアクセスするか、の試金石だ。例えばヤマハの電動アシスト自転車のように、高齢者が乗れる自転車を開発したことで、これまで自転車に乗りたくても乗れなかった膨大な層の女性、中高年、子供連れのお母さんたちの支持を得た。結果として、これまでの数倍のマーケットを獲得したのである。ユーザーの声を聞き製品開発に結びつけること、スペックよりも使い勝手を重視すること、自分でも買いたくなるかっこいい製品をつくること、それは、いつか、年をとった自分自身が一番感謝する「ものづくりの本流」であってほしい。

- 2000年2月 -

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