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特別寄稿:米国テロ この美しい星を悲しみで満たさないで

飛行機がビルに吸い込まれていく。貿易センタービルが崩れ落ちる。いったいなんということなのだろう。まるで悪夢を見ているようだ。映画ではない。よくできたCGでもない。その建物には、実際に多くの人々がいるはずなのだ。誰かの大切な家族が。

 事件を知ったのも、ネットだった。NYにいるはずの会津(泉)さんの消息がわからないという。NY&DCで事件?急いでテレビをつける。信じられない映像だ。うそだろう。ペンタゴンも燃えている。いったい何が起きたというのだ。まるで爆薬がしかけられたかのように、まっすぐに崩落していくビル。CNNを見続ける。

 やりかけていた仕事が頭からひいていく。来期の売上。この仕事の納期。それらがとても小さなことに思えてくる。あの煙の中に、恐ろしい数の死傷者がいるだろう。NYにも、DCにも、飛行機がハイジャックされたボストンにもLAにも、たくさん知人がいる。生きているだろうか?

 家の電話が鳴り出した。友人や家族からだ。「日本にいるよね?今、アメリカじゃないよね?」わたしも、アメリカにいる友人たちが心配でならない。生きていてほしい。いまはそれだけしか思わない。現場で働いていた人々の家族は、半狂乱になっているだろう。死んだひとも、けがをしたひとも、みな、誰かの愛するひとだ。大切な息子や娘、優しい父や母、そしてかけがえのないパートナーたちなのだ。

 かつて、生きていくのがつらかった頃、飛行機に乗っていると、このまま墜落したら楽に死ねるのに、と罰当たりなことを思ったりした。そんなとき、不思議とどこかで子供が泣き出すのだ。親が懸命にあやしている。その声をきくうちに、こころが落ち着いてくる。この親子を巻き込んではならない。その将来に、愛情に、呪いではなく、祝福を送らねばならない。人が生きていくことの原点。

 テロリストも人の子なのに。人の親なのに。主義や主張が違うからといって、その愛する対象を奪う権利はないと、なぜわからないのだろう。アメリカは、強い意志で、犯人を追ってほしい。だが、怒りにまかせて戦闘を拡大してはならない。巻き込まれる市民を増やすべきではない。この美しい星の、地上に満ちる深い悲しみを、より深くしてはならない。

 深夜にメールが飛び交った。「ワシントンに出張していましたが、生きています」「会津さんも無事です」少し安堵する。インターネットが、この星の平和のために、愛するものたちをつなぐために、存在することを願ってやまない。合掌。

- 2001年9月14日 「NIKKEI NET」ITニュース面コラム「ネット時評」s -

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