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ソフトウェアのユニバーサルデザイン設計手法

 

- Universal Design Practices for Software -

 

  1. はじめに
  2. 障害者向け製品からのアプローチ
  3. 一般製品からのアプローチ
  4. 考察
  5. まとめ

はじめに

21世紀の日本において、人口の4分の1が65歳以上となると言われている。同時に今や1年でかつての6年分進むといわれる高度情報社会でもある。産業や行政のあらゆる情報提供が、今以上に情報通信を通じて行なわれることが明白に予測される将来において、自分が情報弱者になるかもしれないという予想も、現状のままでは、また明白である。

障害を持つ人や高齢者は、情報機器と支援技術を用いることで、これまで取得や発信が困難であったさまざまな情報に触れることができるようになった。高度情報社会の恩恵を最も受ける層であるかもしれない。しかし、バリアを解消するための支援技術(Assistive Technology)は、高価であったりその入手が困難であることなどから、必ずしも必要な人の手許には届いておらず、結果として市場が成立するには至っていない。また、本来は健常者向けに作られた製品も、使いようによっては障害者や高齢者に便利なものも存在する。しかし、支援技術との連動ができなかったり、配慮を欠いていることから障害者や高齢者には使いにくい、または使えない場合も多い。結果として、高齢者や障害者にとって安価で使いやすいソフトウェアは極めて少ないのが現状である。

このような状況を打開するため、障害を持つ人の特殊な技術という考えを一歩進めて、障害を持つ人も、持たない人も共に使える技術としての製品開発も検討されるようになってきた。このレポートでは、障害者専用品として開発されたソフトウェアのユニバーサル化、また健常者向けソフトウェアのユニバーサル化という2つのアプローチと、それがもたらす成果について触れる。

障害者向け製品からのアプローチ

ユニバーサルデザインに向かう過程で忘れてはならないのは、利用者側の視点にたったものづくりである。この利用者という概念に、高齢者や障害者を当然の範疇として含める意識改革が設計者に求められている。しかし、普段の生活でさまざまな障害者と接することの少ない設計者にとって、障害を持つユーザーの視点に立つことは困難である。

筆者が独立まで在籍した日本アイ・ビー・エムは、早くから研究員や開発者として障害者を雇用してきた。障害があるから雇用するというよりも、同僚がたまたま障害をもっているという感覚で周囲も接している。、筆者はここで障害者向け支援技術の製品企画に携わってきたが、ニーズの把握やコンセプトの決定、プロトタイプのモニターなどに技術力のある社員が参加してくれることのメリットは大きかった。廊下で、食堂で、また同僚として、障害を持つ社員とふだん接している開発者のほうが、ユニバーサルデザインに敏感になる確率は高いと思われる。

ここで開発され、世に出た製品はいくつもあるが、ことに視覚障害者向けソフトに関しては長い蓄積と定評があった。IBMのみならず、NEC、富士通など、視覚障害者向けソフトは視覚障害者自身によって設計・開発された優秀なものが多い。しかし、その多くは、障害者向けの狭い市場のためだけに作られたものであり、開発コストをリカバーするには程遠い状況であったことは否定できない。社会貢献や企業のイメージアップという大義名分なしには採算が合わない分野なのである。

視覚障害者向けのWebブラウザーを開発するという企画が研究所から出たとき、製品企画部門はそれをユニバーサルデザインのコンセプトに基づいて開発・販売することを提案した。それは主に次のような観点である。

(1) 視覚障害者だけが使える製品にはしない。
(2) 画面は常に晴眼者と同じものを表示する。
(3) 特別なハードやソフトを必要としない。
(4) 価格は一般的なソフトと同額程度とする。
(5) 最低限の音声合成ソフトを製品に組み込み、最初の出費を安く押さえる。
(6) 近所のパソコンショップで買えるよう、一般的な販売ルートに流す製品とする。

この研究の中心人物は自身も全盲の研究者であり、視覚障害者のニーズやあれば便利な機能は熟知していた。実際に開発にあたったのは晴眼のエンジニアであったが、彼は視覚障害者の要望を丁寧に受け止め、技術的に可能な限界に挑戦しつつ、かつ晴眼者にとっての使いやすさも考慮するよう努めた。障害者向け製品をUD化する上で、このような開発者のコンビが有効であると言える。最初に障害者のニーズとその解決策を実現し、それを健常者に使えるよう修正して行く方法である。

結果として、ホームページリーダーは、使いやすく入手しやすい製品として視覚障害者の間では相当のシェアを占めることができた。ニーズを満たすという本来の目的はもちろん評価されたが、特殊なハード・ソフトを必要としないということは、家族や周囲と同じ環境を共有することを可能とした。また、視覚障害者以外の人も使えるよう設計したことで、周囲や家族が教えやすいということにもつながったのである。同じ画面をみながら、パソコン・ボランティアが説明しやすいということが、これまでの視覚障害者向け製品を教えることの難しさを払拭した。更に、買いやすい環境を整えたメリットも大きい。ある障害者雇用団体のインストラクターが電器店の店先から感激して電話をくれたことがある。「パソコンショップで売っているって聞いてきたのですが、ほんとにあるんですね。この手の製品が普通に買えたのは、初めてです。」1997年の日本ではそれが現実であった。

しかし、UDの観点からは、いくつも積み残した課題があった。晴眼者に配慮したとは言っても、やはり主力ユーザーを視覚障害者に置いたことから、視覚障害者にとって便利な機能が優先されてしまうことが多かった。例えば、ネットサーフィンをしている最中にヘルプを見ようとすると、NetScapeの画面が突然ヘルプ画面に切り替わってしまうのである。これは視覚障害者側からすれば、ヘルプは音声で聞くために開くのだから当然の機能であるが、他のアプリケーションでヘルプ用の別ウィンドウが開くことに慣れている晴眼ユーザーには、一瞬何が起こったのかが理解し難い。GUIの音声化の困難さの一例であった。

また、これは時間切れという問題もあったのだが、制御用のパネルが高齢者などには必ずしも使いやすくはできておらず、見やすさなども再考の余地があった。障害者向け製品から出発したものは、どうしても一般人向けの機能の優先順位が下がってしまうのである。また、視覚障害者向け、という宣伝したため、高齢者などが買いにくいという課題もあった。もう少しユニバーサルに設計されていれば、一般向けと謳いながら実は視覚障害者への機能を完備していれば、販売数は1桁違ったのではないかとも思う。

しかし、ホームページリーダーはその後、英語化され米国でも発売された。晴眼者とともに使えるWebの音声ブラウザーは、米国でさえ存在していなかったのである。完全なユニバーサル製品とはいえないが、ユニバーサルを目指したことによって市場環境を変えたという点では、ソフトウェアにおけるUDのひとつの在り方を示したものといえる。

一般製品からのアプローチ

障害者・高齢者が情報機器展示会で情報を収集しようとしたとき、どのような問題があるかという調査を98年の11月に電子協の依頼で行なった。15人のさまざまな当事者に参加してもらったのだが、その際、73才の元気なネットワーカーが、興味ある行動をとった。彼は障害者専用ソフトのコーナーにはあまり時間を割かず、一般製品の中から自分に使えそうなものをいろいろ試して回ったのである。彼が気にいった製品の一つに、T-Timeというソフトがあった。これは、htmlのテキストを、さまざまな状態にして読むことを可能にするという機能の製品だが、彼はそれで、Webのページを「縦書き・明朝・大きな文字」で読むことにより、これまでの苦労から解放されたのである。

日本の高齢者にとって、インターネットやパソコンが使いにくく感じる理由の一つに、「横書き文化」があることに、うかつにもその時まで私は気づいていなかった。考えてみれば、英語と数学以外は縦書きでノートをとり、新聞も本も縦書き・明朝体が中心で生きてきた世代である。横書き・ゴシックを中心とし、かつ字の細かいWebのページが読みにくいのも無理はない。

その後、あるシンポジウムでそのT-Timeの開発や普及にかかわっている方とパネルを持つ機会があった。彼は、日本語の文学作品を縦書きで味わいたい、という意識でその製品を手がけたそうだが、自分の製品が障害者や高齢者にとっても使いやすいものだということを最初は知らなかった。だが、私がユニバーサルデザインのコンセプトを話すうちに、自分の製品がさまざまな人にとって有効であることに気づき、考えが変わっていった。

実際に使ってみると、一回ダウンロードしたページは明朝など好きな書体で読めるし、キーボードだけでスクロールも可能だ。字の大きさもファンクションキーだけで変更できる。これはもしかすると、高齢者や弱視者だけでなく、肢体不自由の方の読書用にも使えるかもしれない。もっと完全にキーボードだけで使えないだろうか? いや、子供が何人かでWebを見ながら議論するといった場合にも、有効なのでは? 健常者だって旅行用の本を何冊も持って行くより、これで数冊ダウンロードして行くほうが軽いかもしれない。

開発担当者は、柔軟にものを考える人であった。考えられるかぎりの状況を洗い出し、技術的に可能な範囲で新バージョンに追加していった。ユーザーというマーケティングターゲットを、これまでの健康な成人から、高齢者、視覚障害者、弱視者、肢体不自由の方、子供へと広げたのである。無論、すべてが一度に解決できるわけではない。ただ、ソフトウェアの目的を一つに絞らずに、もっと多くのユーザーニーズに応えようとしたことで、市場は確実に広まった。

開発者がユニバーサルデザインを意識することにより、一般製品をより多くの人が使えるようになる可能性は大きいという例の一つである。

考察

以上、専用品からのアプローチと、一般品からのアプローチを比較してみた。専用品からユニバーサルデザインを目指したものは、次のような特徴を持つ。

<利点>
(1) ある特定障害のニーズは完全に満たす場合が多い
(2)その障害者の周囲への理解が得られやすいため周囲も本人も習得が容易

<問題点>
(1) 特定障害以外の層には広まりにくい
(2)価格が比較的高めになりやすい
対して、一般品からより広い層の利用を考慮したアプローチの場合、次のような特徴がある。

<利点>
(1) 元が一般製品であるため、価格が安く、入手しやすい
(2) 周囲のサポートを得やすい
(3) さまざまなニーズを少しずつ解決することが可能

<問題点>
(1) 特定層の固有なニーズを完全に満たすことは困難
(2)特定層に、使えると言う情報が届きにくい

こうして見ると、専門性と価格は相関関係にあるということがわかる。例えばプロ仕様のカメラが高価なように、特定層のニーズを完全に満たす製品は、それなりの価格であっても仕方がないかもしれない。対して、インスタントカメラのように、安く、入手しやすい製品がそこそこに自分のニーズを満たしてくれるなら、多少の不具合は我慢しようと思うかもしれない。重要なことは、障害を持つ人の選択の幅が広がるということである。高価だがニーズを満たす専用品と、入手しやすいが使いにくい一般品の、どちらかしか選べない、またはどちらも選べなかったこれまでの状態を、どちらでも状況に応じて選べるようになることである。上記2つのUDへのアプローチが、これまでの空白を埋めることを期待する。

なお、上記に共通の効果として、「周囲のサポートが得られやすくなった」ことが特記されてよい。専用品も一般品も、UD化を図ることにより、これまで困難であった周囲のサポートが得やすくなったために、教えてもらいやすくなり、結果として満足度が向上したのである。実際、障害者支援技術の分野では、教えられる専門家が少ないこと、販売後のフォローに時間がかかるといった問題があったが、周囲がそのソフトを理解しやすい、または同じ製品を使っているため教えやすいということが、UDの大きな効果として顕在化したのである。このことは、支援技術の業界にとっても、また一般品の業界にとっても、UDに取り組む必要性の根拠となりうる。

まとめ

今回紹介した2つのアプローチは、どちらが良いというものではない。むしろ、相互に補完しあっていつかは重なっていくものかもしれない。ソフトウェアの環境においては、それが容易な場合も多いと思われる。一般品を高齢者や障害者の視点で見る。専用品を健常者の視点で見なおす。これからのソフトウェア業界には、障害を持つエンジニアや共用品に敏感なデザイナーの育成と共に、企画や開発、評価にいたるまでさまざまなニーズを持つ当事者の意見を広く受け止める、ユーザーオリエンティドな体制作りが求められてくる。それはもはや、一部の人に対するメセナではない。メインストリーム製品の、市場を広げ、顧客満足度を高め、サポートコストを下げる有効な手法、それが、ユニバーサルデザインのアプローチなのである。

参考文献
[1] 浅川智恵子、伊藤隆 「視覚障害者向けWebアクセスシステムにおけるHTMLタグの音声変換方式について」電子情報通信学会 1997.11
[2] 富田倫生著 「インターネット快適読書術」ひつじ書房
[3] Greg Vanderheiden ''Barriers, incentives and facilitators for adoption of universal design practices by consumer product manufacturers' 1998

- 1999年5月に人間工学会シンポジウムにて発表されたものです -

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