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普通の人の視点でユビキタス社会を語ろう

 ユビキタスという言葉を、今IT業界で聞かない日はない。猫も杓子も、という感さえある。だが、それがいったい、われわれの生活をどう変えていくのか、普通の人の視点で語られることはまだ少ないのではないだろうか? 

「やおよろずプロジェクト」スタート 

 別に国立国語研究所の『「外来語」委員会』に遠慮したわけではないが、ラテン語のユビキタスが「(神は)遍在する」というように使われるのをもじって、このプロジェクトの愛称を「やおよろずプロジェクト」としている。すべての自然に神が宿ると信じたい私としては、なかなか気に入っている名前である。 

 で、なぜ「横断的」なのか?これが目的とするところが、早い話、「文理融合」だからである。これまで、ユビキタスというと、主に理系の研究者の間で、微細チップの仕様の話やRFID(無線自動識別)タグを部屋中に埋め込んで、という技術系の話ばかりだった。それを使う人間や、それが普及することによる社会変化について、メディア論や社会学のわずかな例外を除いては、文系の研究者の中で語られることはほとんど無かったといってもいいだろう。そして、われわれ一般の市民に対しても、それをわかりやすく伝える努力がなされているとは言いがたい。また新設ラッシュの大学の情報系学部でも、来年度から始まる高校の情報科でも、情報処理技術しか教えず、ITの社会的な意義や倫理、情報社会のあるべき姿などを論じる場はほとんどないのではないだろうか。 

ユビキタス社会をだれにも優しい社会にするために

 衣服の繊維1本1本にさえチップが埋め込まれ、それがすべてネットワークで制御される時代が来たら、われわれの生活はどうなるのだろう?やってくるのは恐怖の管理社会なのか?それとも、われわれの困ったことを、陰からそっと支えてくれる優しい社会になるのか?いま、ユビキタスはその分かれ目に立っている。かかわっているすべての技術者が、「それは何のためにあるのか」「それは人を幸福にするものなのか」「それを使うのは誰なのか」という自らへの問いかけを日々行なうことが必要な気がする。 

 かつて、IT産業は、大企業や省庁の大きなコンピューター室で、専門家が扱うためのものを開発していた。ユビキタス情報社会では、それは普通の市民が、生活の中で使うものなのだ。賢く若い男性だけで、研究室の中だけで開発されていけば、子供たちやシニアや女性たちの視点を欠いたものになるかもしれない。ユビキタスこそ、ユニバーサルデザインでなくてはならない。医師に倫理教育が必要なように、フランスの上級公務員に哲学が必須科目であるように、ユビキタス情報社会を担う技術者は、まず人間を、社会を知ることから、そのニーズを知ることから、研究を始めてほしいと思う。 

 このプロジェクトは、始まったばかりなので、理系の先生方の技術信奉に文系側が驚いたり、文系側の技術への警戒心に理系側が悩んだりと、まだまだ手探りの状態が続いている。しかし、3年後には今のバトルを契機に、何らかの成果が出ることを期待している。2月10日には公開フォーラムも予定されているので、ご興味がおありの方はぜひ参加して頂きたい。 

やおよろずプロジェクト公式サイト  http://www.8mg.jp/

- 2003年1月24日 「NIKKEI NET」ITニュース面コラム「ネット時評」 -

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