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デジタルからクリスマスの贈り物

クリスマスが近づいてきた。色とりどりのプレゼントが下がるツリーの下で、胸ときめかせた頃を思う。みなさんは子供に何を贈るだろう?パソコンソフト?テレビゲーム?子供たちはデジタルの画面に歓声を上げる。でもレゴブロックやスノーボードのほうが長く遊べる。この小さな画面では、ものの実感は湧かない。

■実世界に埋め込まれるデジタル
 これまでデジタル系の研究者は、デジタルの世界をどうやって実世界に似せるかで苦労してきた。3D、VR(仮想現実感)。重いHMD(ヘッドマウントディスプレイ)をつけて、ごわごわしたデータグローブを手にはめて、ようやく「現実に似せた」バーチャル環境を体験することができた。でも「現実」のほうがよっぽど「リアル」じゃないのか。
VRとは逆に、実際の世界の方にデジタルを埋めこんだら?それが実世界指向インターフェースである。まだ実用化はされていない。われわれが住む世界そのものに、さりげなく埋めこまれた、Invisible(目に見えない)なデジタル。普段使う生活の中のオブジェクトに、小さなPCとIPV6が入っていて、必要なときだけネットにつながる。通勤用の靴はあなたがいつも乗る急行の遅れを知らせてくれるかもしれないし、水道の栓は力が弱い子供や高齢者を認識して堅さを変えるかもしれない。かつてユビキタスコンピューティングといわれた考え方は、情報家電や携帯電話の普及で、次第に現実になろうとしている。遍在するコンピューター。
 100MIPSを越える携帯もすでに立派なPCだが、もっと小さく、もっと安く、そしてデジタル色を消して行くだろう。そして来世紀には全く物理世界と融合してしまうかもしれない。このような実世界指向インターフェースは、80年代後半の東大の坂村(健)教授の「TRON電脳住宅」を始めとして、91年にはXerox PARCでユビキタスコンピューティングとして知られるようになった。現在はソニー コンピューターサイエンスラボ(CSL)の暦本純一氏や玉川大学の椎尾一郎助教授らにより、研究が進められている。

■一般人に近づくIT
 これは歓迎すべき傾向だ。ITが、ようやく一般の人の感覚に近づくからである。これまでこの四角いPCの画面で、呪文のようなOSのメッセージに頭を悩ませてきた人のほうが、本当は大多数のはずだ。どうしてわたしがパソコンに合わせなきゃならないんだ。なぜわたしの「やりたいこと」「できること」に、パソコンのほうが合わせてくれないんだ…バカな機械を前に何時間も格闘したことのある人なら何度もそう思っただろう。
 来世紀のパソコンは、もう今の形をしていない。わたしたちの身近なところで、見慣れた風景の中に溶け込んでいるだろう。声をかけて呼び出せば、机の上の本は時刻表になったり、宮沢賢治の詩集になるかもしれない。必要な情報を必要なときに必要な形式で取り出せる。そんなことも不可能ではなくなるだろう。
 そしてそれは、わたしがどんな状態であっても使えるものであってほしい。たとえ私に重い発話障害があっても、わたしの言葉は私を知るコンピューターに認識され、遍在する他のものたちに伝えられる。わたしのめがねは、ひさしぶりに会って思い出せない顧客の名前を、字幕でこっそり教えてくれるかもしれない。実世界指向インターフェースは、人間の活動を支援するものだ。そしてそれは、さまざまな人の状態を受け入れる、ユニバーサルデザイン(UD)であることが可能なインターフェースだ。

■技術は人を支援するもの
 実世界指向インターフェースの美しい例として有名なMIT Media Labの石井裕氏の作品たちTangible Bitsが、意識したわけではないのに、UDに近いことに私は驚く。
 透明なパネルを介して視線を合わせて会話するクリアボードは、ALSなど神経難病の患者が会話に使う透明なアクリル板に、よく似ている。In Touchという離れた人間の意図を手の感触で伝え合う道具は、言語習得以前の子供と高齢者の会話や、盲ろう者のコミュニケーションに使えそうだ。透明なガラスの小瓶に音楽が詰まったMusic Bottlesは、誰にでもわかりやすい使い方だ。瓶のコルクを抜けば音楽が聞こえる。これはご高齢のお母様に、天気予報を鳥の声や雨の音で知らせる「天気予報の小瓶」として最初は作られたのだそうだ。高齢者にもわかりやすいユーザーインターフェース。もうブラウザーを立ち上げて、どこに明日の天気があるのか探す必要はない。動作量の概念を伝えるカーリーボットは、入力と出力が合体したかわいい動くおもちゃだ。子供も大人も楽しめる。

 石井氏の作品が期せずしてUDなのは、それが人間のためのデザインだからだ。人が先で、技術はそれを支援するもの。デジタルやITは、わたしたちの生活や仕事を支援するための道具だったはず。来世紀のユーザーインターフェースは、限りなく人間に寄り添って欲しい。さりげなく、控えめに、われわれの生活をかげで支える。デジタルで、UDで、Invisible。
 クリスマスソングが流れる。さあ、子供たちよ。テレビゲームは置いて、外でお遊び。スケートボードの風を切る感覚。木枯らしの寒さや焚き火の暖かさ。それらすべての経験が、データベースとなって、君の人生を支える。それは来世紀には、ネットで誰かに伝えられるものになるかもしれない。そうやって、高齢者の知恵やたくみの技も、人間が何万年もかけて会得してきた感覚も、新しい世代に伝承されていくだろう。Tangible(手で触れる)なかたちで、デジタルに。

- 2000年12月8日 「NIKKEI NET」ITニュース面コラム「ネット時評」 -

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