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あるアメリカ人科学者の思い出

夏も盛りの頃になると、決まって、あるアメリカ人科学者のことを思い出す。まだ入社間もなかった私は、日本に初めて来たその人に、東京を案内していた。他愛もない会話の中で、彼は私の出身を聞いた。
「長崎よ」なにげなく答えた瞬間、あたりの空気は凍った。
「どうしたの?」わたしは彼の目を見ようとするが、彼の狼狽は止まらない。切れ切れにつぶやく英語が聞き取れない。
「君の、ご家族は?誰も、怪我をしなかったの?親戚は?」
私は、やっと、彼が原爆のことを話しているのだと理解した。
「大丈夫、私の家族は長崎といっても、北の方に住んでいたの。誰もけがはしなかったわ」彼の目から大粒の涙が溢れた。今度は私が狼狽する番だった。
「僕は、アメリカ人として、いや、一人の科学者として、人間として、君に、君につながる人々に、恥ずかしいと思う…」

 私は、品川の雑踏の中で静かに泣き続ける、若く小柄な科学者をなぐさめる言葉を持た なかった。その人は、IBMアルマデン研究所でRDBやSQL言語の基礎を作ったDon Chamberlain氏であった。

 年齢から考えて、彼がマンハッタン計画に参加したはずもない。研究歴も原子力にはまったく関係はないだろう。しかし、この日の出来事は、私の記憶に深く刻まれた。科学技術に携わる者は、人間の歴史に責任を持つ必要があるのだ。

 道具とは、本来、人を幸福に、豊かにするためのものだ。多くの科学技術も、人間に有用であることを願って生まれる。原子力も、化学も、バイオも、ITも、そうやって研究開発されてきたのである。しかしそれは、時には思いもよらない使い方をされる。99.999%の包丁は、家族やお客様に、美味しい料理を食べてもらうために存在する。でも、たった一人でも人を刺したら、それは凶器と呼ばれてしまう。科学技術の暴走を止めることは、可能なのだろうか?人が作ったものは、人が責任を持って止めるしかない。

広島の片田舎に、高齢の兄弟がやっている「村の鍛冶屋」があるとテレビで紹介していた。彼の作る手斧には、前に3本、後ろに4本、筋が入っている。

「これは、身を除ける(三を四ける)という意味だ。間違っても、人を傷つけないように」この道具にこめられた思いを、山に入る者たちは知っているのだろう。ものを作る側と、使う側の、それぞれの思いと知恵が、深く交流していた。ITが本当に次世代に伝えなければならないのは、もしかするとこうした、地方の名もない高齢者たちが持っていた知恵なのかもしれない。その歴史観や倫理観なのかもしれない。

 原爆の映像が流れるたびに、私はDonの涙を思い出す。私は、遠くの国で戦争や病気で倒れていく人のために泣けるだろうか?ITの黎明期を支えた人々の思いを、今も伝えきれているだろうか?ドライなIT社会にいるからこそ、共感する力を失わずにいたいと思う。

- 2001年8月3日 「NIKKEI NET」ITニュース面コラム「ネット時評」 -

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