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もっと誰にも使いやすい情報化社会を目指して

  1. パソコンやインターネットが拓く障害者や高齢者の可能性
  2. どんな支援技術があるのか
  3. コミュニケーションエイドが拓く世界
  4. 世界中の本を読みたい
  5. 聴覚障害者のコミュニケーション確保はこれから
  6. インターネットが拓く障害者の就労
  7. 現実には厚いバリア
  8. これからどうしたらいいのか

パソコンやインターネットが拓く障害者や高齢者の可能性

道具って、何のためにあるんだろうか?人間の機能を補完したり、拡張したりするためなんだろう。パソコンやインターネットも、使いこなせればこんなに便利な道具はない。たとえば私は1500人くらいの名刺情報をパソコンの住所録に入れている。誰かの電話を覚えておく必要はもうなくて、そこから探せばいいのである。新聞やテレビで、面白そうな本の紹介をしていたとする。私はインターネットの画面を開いて、そこからさっきの本をオーダーする。小さな書店にはおいてないような専門書も、どこに住んでいても手に入る時代になったのだ。もっとも流し読みは好きなので書店に行く回数自体は減っていないが。ものごとを覚えるのが難しくなったら、パソコンに登録しておけばいい。探し方さえ忘れなければ(!)情報は機械が覚えていてくれる。家を出るのが大変だったら、インターネットを使えばいい。お花もオフィス用品も届けてくれるし銀行口座の残高も確認できれば株の売買だってできてしまうのだ。

障害を持つ人や、高齢者こそ、情報化社会のメリットを、一番、享受できる層なのかもしれない。全盲の人がインターネットで新聞を読めるようになり、通勤困難な肢体不自由者が在宅で仕事をし、聴覚障害者のコミュニケーションを円滑化する。高齢者が遠くに住む孫たちと交流し、自分の生き方を情報として残すこともできる。

しかし、現実はまだ厳しい。パソコンと聞くだけで怯えてしまう人も多いし、実際、まだまだ難しい。障害を持つ人のパソコン利用のために補助的に使う機器やソフトのことを支援技術と呼ぶが、この分野の専門家はほとんどいないので、その存在すら知らない人は多い。この特集では、どんな支援技術があるのか、それを使っている障害者はどう生きているぼか、これから必要とされる活動はなにかをお伝えしたい。

どんな支援技術があるのか

あなたがもし歩けなかったら杖や車椅子があるように、もし手が使えなかったらその入力を補助する道具がいろいろ出ている。キーボードを打つときに麻痺があって周りのキーに触るようだったら、キーガードを使うと便利だ。これは筋力が弱くてキーボードの上に手を長時間浮かしておくのが難しい方にも使える。また、稼動域が狭い方向けにはほとんど手を動かさなくてもいいように「小型のキーボード」もある。片手や口にくわえたスティックで入力する人にとって困難な“シフトキーを押す”という動作を、一回の入力を組み合わせてもできるようにする機能は、今ではOSに組み込まれている(Windows95 ユーザー補助、MacOS EasyAccess)。マウスがうまく扱えない人は、「トラックボール」を試してしてはどうだろうか?同時に2つのことをするのが困難な方向けに、クリックロック(選んだ状態を保持してくれる)機能がついた機種もある。わずかに動く部位を利用してスイッチ入力で使えるソフトも少しずつ増えてきた。神経難病などの方が病院から情報発信されることも増えている。

視覚に障害があれば、音や点字でパソコンの画面を読むことができる。パソコンに内蔵された音声合成装置と、専用ソフトを使えばWindowsのアプリケーションを使ったりネットサーフィンをすることもだんだん可能になってきた。(95Reader,ホームページリーダー)携帯型の点字入力装置を使ってメモをとる学生も多い(ブレイルライト)

もし、全盲でなく弱視であれば、画面を拡大したり色反転するためのソフトがある。音と組み合わせるともっと使いやすいだろう。高齢者にも必要な機能だ。

聴覚に障害がある場合は、コミュニケーションを確保するための道具が出ている。今はまだ聴覚障害者同士で使っているケースが多いようだが、これからは携帯電話の液晶を使ったコミュニケーションなどが盛んになるだろう。音声認識と組み合わせて、健聴者との会話支援も研究が待たれるところだ。

このような支援技術を使ってパソコンにアクセスできると、直接会っては会話が成立しにくい障害者間のコミュニケーションも、スムーズになることが多い。聴覚と視覚の人が会話する、発話障害者と聴覚障害者が話し合う、ということも可能になるのだ。

コミュニケーションエイドが拓く世界

A子さんは13歳の登校中に、居眠り運転の車にはねられ脳挫傷を負った。ほとんど自力では表情さえも動かせない重傷で、長い間意思の疎通にことかく状況だった。しかし、彼女はコミュニケーションをとろうと努力する。自分が意識が正常であること、周囲の会話も対応も、すべて理解していることを知らせたくて苦闘する。最初はまばたきで、それから目線で、次第にトーキングエイドやワープロへと道具を進化させながら、自分を伝えることをあきらめないで続けるうちに、周囲は彼女を本当に理解するようになるのだ。

相手に自分の意思を伝える。これがどんなに大切で、そして難しいものかを知るために、 彼女が頭につけたスティックでキーボードを打って書いた本「車椅子の視点」を一読されてはいかがだろう?

海外の展示会では、彼女のような重度の障害者がコミュニケーションエイドの販売員をしているのに出会う。ニーズを持つものが、もっともいい売り手になるのだ。

日本ではまだまだ軽くて使いやすい携帯型のコミュニケーションエイドはたくさんの種類が出回っているわけではない。言いたいことをたくさん持ちながら、それをうまく使える手段をもたない障害者の情報発信手段が、もっと当事者とともに検討されてもいいと思う。

世界中の本を読みたい

視覚障害者にとって、世にあふれている活字情報は、ほとんどが意味をなさない。さまざまな書物を健常者と同じタイミングで読みたいという欲求は、根強いものがあった。手作業で行なわれていた点訳作業をパソコンで行なうようにし、ネット上で共有できるという仕組みは「点字編集システム」が10年かかって可能にしたものだ。また、インターネットのホームページを視覚障害者が音声で読めるようにした「ホームページリーダー」も情報へのアクセスを飛躍的に伸ばしたものだ。これらは、IBMのAさんが自分で開発したものだ。視覚障害者の環境を、視覚障害者本人が解決する。NECのYさんも富士通のIさんやHさんも、みな、同じようなフロンティアである。

また、録音図書の仕様も世界標準化が進んでおり「Daisy」という方法でCD-ROMに録音し配布するプロジェクトが進行中である。この方式はインターネットの中でも標準になる予定だ。 アメリカの本屋さんへ行くと、新刊書は、同時にテープ版や大きな活字版としても出ていることに気がつく。さまざまなユーザーのニーズに最初から対応しようとしているのである。高齢者施設には大活字や音声テープが完備している場合が多い。

著作権の問題もある。著作権の切れた古典、著作権を主張しない作家の作品をせっせと入力しているボランティアサークル「青空文庫」も、視覚障害者の読書権のために活動しているグループである。

聴覚障害者のコミュニケーション確保はこれから

以外に知られていないことだが、障害者の中で最も不利益を蒙っているのは、実は聴覚障害者かもしれない。傍目には障害者に見えないし、移動の困難もない。眼が見えるのだから何でもわかっているだろうと思われがちだ。しかし、実際に生活する上では、一番困難が大きいのである。人間は、主にしゃべってコミュニケーションをとる。その会話がきこえないということは、聞こえる人間の中では、非常に大きな疎外感につながるものだが、それを伝える手段さえ、現在の技術では確保できていない。

共用品を進める任意団体 E&Cプロジェクトの聴覚障害者班のKさんは、「音を見たことがありますか?」というベストセラーを書いた人だが、彼女はさまざまな携帯機器を使って、周囲と自在にコミュニケーションをとっている。ポケベル、携帯、Pメール、パソコン通信、インターネット、あらゆる媒体が、コミュニケーションの手段だ。

全国中途失聴者連盟のTさん、Kさんも、情報保障に奔走している。中途で聞こえなくなった人の問題はより深刻なのだ。自分はしゃべれるので聞こえないことが理解されにくい、手話や読唇ができない、などで、周囲とのコミュニケーションが全く断たれてしまうケースが多い。「音声認識技術をうまく組み込んだ携帯型のコミュニケーション機器があれば、これまでどおり周囲と意思の疎通が図れるのですが」とKさんは言う。日本の技術力でできないわけはないと思うのだが、全く研究はなされていないようだ。高齢者にとってもあれば嬉しい機器だと思うのだが。

インターネットが拓く障害者の就労

SOHOが次第に日本でも増えてきた。パソコンとインターネットがあれば、仕事ができる環境が整いつつある。公共交通機関のアクセスが悪かったり、介護の状況などで通勤ができなかった障害者も、在宅で仕事のできる環境が整いつつある。企業の社員として在宅のまま仕事を受ける人も増えてきた。沖電気の在宅社員として働くAさんは、重度の脳性まひで発話障害がある。通勤が困難だったため、在宅就労を希望した。プログラミング検定などを優秀な成績で通過し、いまはソフト開発に従事している。在宅社員も障害者の法定雇用率に組み入れられるようになったことや、東京コロニーなどの教育機関が企業と障害者の仲介をしてくれるようになったからであろう。、また大阪のプロップステーションや東京のWeCANなどの障害者グループが、NPOとして組織化されつつある。ネットで仕事を受け、自立できる例として今後が期待される。

現実には厚いバリア

しかし、このようなうまくいった例ばかりでないのも事実だ。まだ、今のパソコンは一般の人には難しすぎる。難解な言葉、わからないマニュアル、かからないサポートセンター、相性によってつながらない周辺機器やソフト、、、どれも、詳しい人がそばにいない限り、高齢者も障害者もお手上げになってしまうだろう。いま使っている人だって、「パソコンは易しい」と本気で信じているとしたら、よっぽど運のいい人か、鈍感なだけだろう。

先日、73才で現役の生命保険の勧誘員と知り合いになった。昔からの人脈で、営業成績もなかなかのものらしい。元気に働く高齢者の見本のようで嬉しく思っていたのに、来年はやめるかもしれないと暗い顔で言う。「全員、パソコンをもってお客さんを回ることになったの。わたし、よく見えないし、使えないからもう仕事できない。」

道具が使えないという理由で、本来の力を発揮できないような社会は、やはりどこかいびつなのだ。電動カッターが使えなくても、包丁が使えたほうがうまい料理は多いのだが。 道具、この場合はパソコンを、もっともっと簡単に使える努力をしておかないと、人口の4分の1が高齢者となる来世紀の日本は、労働力のミスマッチや購買力のある高齢者層への販売に失敗することになるだろう。

また、支援技術を使いたくても、その情報自身が障害者・高齢者のもとへは届いていない。日本IBMが95年から開設している支援技術のインターネット上のデータベース、こころWebは、約600件の支援技術を紹介しているが、今では月間のアクセス数が30万件を越えるようになった。更に、それについて解説し、障害者個々人の相談に乗るインフラは、日本にはまだほとんど存在していない。その人の障害状況に合った支援技術を選び、それを本人が使えるようになるまで適用し、それと一緒にパソコンやインターネットが使えるまで教育する機関が、日本には存在していないと言っても過言ではない。このままみんなで年をとっていけば、企業や自治体がいくら情報投資して発信しても、受け取る国民はみんなで情報弱者という有り難くない事態になるだろう。

これからどうしたらいいのか

暗い話になってしまったが、希望が全く無いわけではない。少ない予算でがんばっている横浜や神奈川のように、きちんとしたリハビリテーションエンジニアのいるところは、まっとうなサポートを得られているのである。各自治体は、技術のわかる福祉職や、福祉のわかる技術職の配置を真剣に検討して欲しい。豪華な展示施設よりも、実際に適用を助けてくれるリハ・エンジニアが常駐し、試用や貸し出しを行なってくれる技術センターがっ求められているのだ。地域の核になる人材、支援技術やパソコンについて気軽に聞ける場所、それは自治体側でなんとか確保していただきたいものである。核になる人がいさえすれば、後は地域の障害者が周囲を補強できる。自分と同じ障害を持つ人をサポートするピアカウンセリングも可能になるだろう。そしてそのメンバーが法人化されていくとき、地域の高齢者が支援できる。人事管理や経営など、これまでの経験を生かしたサポートをしてほしい。さらに、その周りには、地域の主婦、学生、サラリーマン、OLなどなど、少しでもパソコンがわかる人々が、「パソコンボランティア」として支援する。地域の障害者・高齢者の家を、会社帰りにちょっとよって、パソコンの使い方を教えたり、質問に答えたりするのだ。地域コミュニティの活性化にもつながると思う。

来世紀は、高度情報化社会であることは間違いがない。しかし、同時に、高齢社会であることも間違いないのである。わたしたちは全員が、いつか年をとる。そしてどこかが悪くなる。それは避けられない。でも、それを苦にすることは、避けることができる。道具や、技術がうまく使えるのなら、年をとることも、障害をもつことも、それほど恐れるものではない。いま、技術を使って、新しい道を切り開いている障害者たちは、わたしたちみんなの、来世紀の羅針盤である。障害者は、高齢化社会の先生だ。誰もが経験する加齢による障害を、われわれより先に経験し、その克服方法まで教えてくれている。企業は、来るべき高齢化社会をマーケットニーズとして捉えるためにも、もっと障害者ユーザーの声、今の高齢ユーザーの声に、より耳を傾けなくてはならない。あんなわかりにくいパソコンやソフトウェアを作らないでほしい。支援技術と素直に連動できるよう、気を使ってほしい。その配慮をした企業だけが、来世紀に生き残るのだ。また、高齢者は、障害者の先生である。NPOや会社組織を作っていく際、高齢者の経験は何にも代え難いものになるだろう。地域コミュニティの中で、高齢者と障害者が互いのニーズと力を寄せ合ったとき、きっと来世紀の情報バリアフリーは、実現しているのだ。

- 日経新聞社 バリアフリーガイドブック1999年版に掲載されたものです -

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